ベルリンを語る上で避けて通ることができない悲しい歴史。
その一片がここグリューネバルト駅17番線ホームに残されている。
1941年10月18日、帝国鉄道特別列車第一号が1251人のユダヤ人を乗せて、このグリューネバルト駅から東方の収容所へと出発した。
1941年から1945年にかけて180本以上の列車に乗せられたユダヤ人の数、およそ5万535名。
ホームにはめ込まれた金属製のプレートには、列車が出発した日時、移送された人数、目的地が刻まれている。
その数は1000、とか2000とか正確な数ではないことをうかがわせる。
見動きも取れないほどに詰め込まれた劣悪な環境の中、強制収容者に送られる人の気持ちは、不安と恐怖、絶望のどん底にあった。
1998年1月27日、ドイツ鉄道がこのホームの入り口にオブジェを設置。
この銘板には「17番線。1941-1945年にドイツ帝国鉄道の列車によって死の収容所へと移送された人々を追悼して」とだけ記されている。
グリューネバルト駅はもちろん今でも使われているSバーンの駅。
特に夏はヴァンゼーの湖へ出かける人が利用する。
また、このあたりは閑静な住宅地で知られるところでもあり、通勤、通学、買い物と普通に町中へ出かけるときに使っている路線。
グリューネバルト駅からヴァンゼー駅の間は距離が長くて、緑の木々の間を延々と列車は走る。
そんな悲しい歴史の大舞台であったことを忘れてしまいそうになる。
しかし、車窓からの風景は、街のそれから一転した自然そのもののさわやかさというよりも、手つかずのまま放っておかれた緑によって、心の中にざわざわと不快な風を感じさせるものであった。
さらに、冬の白樺の木立はいっそう寂しいものとなる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます