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「堺すずめ踊り」の祭典 普及活動15周年「フェニーチェ堺」公演

2020-07-01 01:32:13 | 歴史

 

 堺市民芸術文化ホール「フェニーチェ堺」のグランドオープン(10月1日)に先駆けて、杮落ちし先行使用の「晴れ」の舞台で「堺すずめ踊り」の祭典を開催しました。  

 退職後、市民活動の中で堺とゆかりの深い「仙臺すずめ踊り」と出会い、桃山文化を想起させる華やかな雰囲気に魅せられて、仲間ととも堺市民文化として普及する活動に取り組んできました。  

 平成17年10月、仙臺すずめ踊り連盟の皆さんを第32回堺まつりに招聘し、初めて堺市民に紹介して以来15年目の節目年に、活動成果の発表とともに、堺市内在住篤志家(匿名希望)のご協力を得て陸奥の大名・伊達政宗から堺の茶人・今井宗薫に宛てた「書状軸」を公開展示しました。  

 1,000人収容の大ホールにほぼ満員の観覧者をお迎えし盛大に執り行うことが出来ました。

 

動画こちらから

 

 文禄2年(1593)朝鮮出兵の際、豪華できらびやかな戦装束が評判になり「伊達男」の勇名を馳せるなど伊達政宗の派手好きは、時の天下人・豊臣秀吉の派手好きにも和して気に入れられました。

 反面、料理をこなす「おもてなし」大名でもあり、手紙も流麗達筆でマメに書くなど几帳面な性格の持ち主だったそうです。

 伊達政宗が生涯に書き残した手紙は多く、徳川家康の側近的な地位にあった大老・土井利勝に宛てた79通を筆頭に、今井宗薫に宛てた手紙の数は32通もあり(第5位)、上位者の中では唯一の商人出身旗本でした。伊達政宗ほどの大大名でも今井宗薫を介さねば徳川家康に上申できませんでした。

  

 小田原城での初対面以来、関ヶ原の戦い前後にかけて伊達政宗と今井宗薫との手紙の交換は25通が知られ、その内訳は、今井宗薫⇒伊達政宗:10通、伊達政宗⇒今井宗薫:15通でした〔注1〕。

 伊達政宗は、大名や公家宛の書状には鶺鴒(セキレイ)の花押を用い、親族・家臣・私用には大きな丸味のある花押を使い厳密に分けていました。

 本書状は、「相談があるから来てほしい」という簡単な内容ですが、自筆で鶺鴒の花押まで書し、しかも第三者からは内容不明であることに注目しますと、用件は大事につきお会いして相談したいとも読み取れ、伊達政宗と今井宗薫の親密な関係性がうかがえます。

 関ケ原の戦い後の手紙の交換が多いのが特徴的で、その中には、伊達政宗から戦勝の論功行賞として仙台城築城許可願いなどもあったことが推察されます。

 〔注1〕高橋あけみ2003「今井宗薫と伊達政宗-宗薫家茶の湯書(佐藤家本)の意義」熊倉功夫編2003『茶人と茶の湯の研究』294頁思文閣出版

 

伊達政宗・今井宗薫書状交換年表 詳しくは、こちらから

 

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