コルティーナというのは、タンゴのパーティ(ミロンガ)で何曲か毎(タンダ)にダンサーを一旦席に戻すために流す「全く違う雰囲気の曲」のことを指すようなのだが、日本のミロンガではあまり使われることもなく不要だという意見も少なくない。
それでもコルティーナを使われている主催者の意見を聞くと、一つには「本場アルゼンチンで使われている」から、そしてもう一つには「DJとしての醍醐味」という二つがありそうだ。
ところで、「本場アルゼンチンで使われている」コルティーナが無くてもミロンガが成り立つのか?コルティーナをかけて一旦席に戻さないと、席に戻らない人や戻れない人がでてくるのだろうか?
賛成意見派と反対意見派の意見を見てみよう。
まず反対意見としては以下のようなものがあった。
・何をすればいいのか分からない
・せっかく気持ちよく踊っているときに醒めてしまう
・やっとお目当ての踊る相手が捕まったのに帰るなんて面倒だ
などなど
日本ではめったに見られない風習ゆえの拒絶なのか、絶え間なく踊り続ける快楽を知ってしまった文化としての拒絶なのか、それとも本来シャイだと言われる日本人の陶酔を覚ましてしまう”補正”としての拒絶なのか。
DJ側の意見を聞いても、ここに挙げたような反対意見などでコルティーナをかけづらい状況が多々あるようだ。
賛成意見としては、以下のようなものがあった。
・休憩がほしいときにきっかけになる
・踊りたくない相手と踊り終えられる
・踊りたい曲がまとまってかかってくれて、区切りが分かりやすい
・曲調によって踊る相手を変えたいのであった方がよい
尤もな意見だと思われる。
やはり席に戻れなくなるという現象もあるようだ。
無限に踊りつづけている二人が実は「断れなかったので」という理由であったことも、たまに耳にする。
また、コルティーナを使う場合はタンダの構成がしっかりと練られたものであった方が良さそうだ。
個人的には「何がコルティーナか?」も分かっていないので、コルティーナに対して過度の要求をしている面もあるが、
「本場アルゼンチンで使われている」コルティーナであっても「なんだこりゃ?」というつまらないコルティーナがあったし、ただの「蛍の光」的な追い出しテーマならそんな物は要らない。
コルティーナの選曲自体もやはりDJの肝だと思うので、決めうちのコルティーナではなく、もっと凝りに凝って欲しいものだと思う。
多くのダンサーがタンダやコルティーナに関心を示すようになれば、世の中のDJはもっと進歩するのになぁ、、、
それでもコルティーナを使われている主催者の意見を聞くと、一つには「本場アルゼンチンで使われている」から、そしてもう一つには「DJとしての醍醐味」という二つがありそうだ。
ところで、「本場アルゼンチンで使われている」コルティーナが無くてもミロンガが成り立つのか?コルティーナをかけて一旦席に戻さないと、席に戻らない人や戻れない人がでてくるのだろうか?
賛成意見派と反対意見派の意見を見てみよう。
まず反対意見としては以下のようなものがあった。
・何をすればいいのか分からない
・せっかく気持ちよく踊っているときに醒めてしまう
・やっとお目当ての踊る相手が捕まったのに帰るなんて面倒だ
などなど
日本ではめったに見られない風習ゆえの拒絶なのか、絶え間なく踊り続ける快楽を知ってしまった文化としての拒絶なのか、それとも本来シャイだと言われる日本人の陶酔を覚ましてしまう”補正”としての拒絶なのか。
DJ側の意見を聞いても、ここに挙げたような反対意見などでコルティーナをかけづらい状況が多々あるようだ。
賛成意見としては、以下のようなものがあった。
・休憩がほしいときにきっかけになる
・踊りたくない相手と踊り終えられる
・踊りたい曲がまとまってかかってくれて、区切りが分かりやすい
・曲調によって踊る相手を変えたいのであった方がよい
尤もな意見だと思われる。
やはり席に戻れなくなるという現象もあるようだ。
無限に踊りつづけている二人が実は「断れなかったので」という理由であったことも、たまに耳にする。
また、コルティーナを使う場合はタンダの構成がしっかりと練られたものであった方が良さそうだ。
個人的には「何がコルティーナか?」も分かっていないので、コルティーナに対して過度の要求をしている面もあるが、
「本場アルゼンチンで使われている」コルティーナであっても「なんだこりゃ?」というつまらないコルティーナがあったし、ただの「蛍の光」的な追い出しテーマならそんな物は要らない。
コルティーナの選曲自体もやはりDJの肝だと思うので、決めうちのコルティーナではなく、もっと凝りに凝って欲しいものだと思う。
多くのダンサーがタンダやコルティーナに関心を示すようになれば、世の中のDJはもっと進歩するのになぁ、、、
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