先日、盛岡へ出かける機会があって、
全くタンゴの無かったところにタンゴを定着させていくという事は
とても意義深いところなのだという事が分かった。
自分が役に立てることが何か、
どういう考え方が必要なのかを考えたい。
何事も普及のためには
「ローカライゼーション」と「プロモーション」が肝だとされる。
ローカライゼーションと言えば、
それは、もともと英語だったものを日本語で読めるようにするとか、
日本人特有の何かを特別にこしらえるとか、
みたいなものがイメージが思い浮かぶところだ。
※Wikipediaなんかにも少し書いてある。
Wikipedia:ローカライゼーション
アルゼンチンタンゴの普及においても、
やはりプロモーションだけを考えていてはダメなのだろうか。
今日は、
このタンゴのローカライゼーションについて
簡単に整理したいと思う。
1.国をまたぐローカライゼーション
アルゼンチンタンゴは
もちろん、もともとはアルゼンチンで生まれたものであったが、
それが時間とともに日本やヨーロッパに伝わっていって
今の形になっている
それは
一つのアルゼンチンタンゴのローカライゼーション
と言える。
踊りと音楽と歌とが三位一体であったとされる
アルゼンチンタンゴは
このローカライゼーションの過程において
それぞれが独立し、固有の発展を見せている。
たとえば音楽は
昭和の早い段階から日本へ浸透し、
タンゴ喫茶などで人々はタンゴ音楽に接することができた。
歌は場合によっては日本語訳され、楽しまれた。
その後も、コンサートやCD/DVDなどの配布しやすい媒体を使って
全国的に展開されている。
一方踊りはというと、
そもそも「踊り」としてのタンゴは、見る・見せるだけでは伝承が難しかったのかもしれない。
音楽や歌と違って、踊りについては宣教師のような人がアルゼンチン等から伝来して直接人から人へ伝授していくものになっている。
結果として、CDやDVDのような物で一般の人が踊りを目にすることはないし、
あったとしても、コンサートに付随するショーダンスや稀に映画に使われるような映像くらいだ。(それをアルゼンチンタンゴだと認識して、いざ自分も嗜んでやろうと思うに至る人間がどれだけいるだろうか?)
だから単衣に「日本にタンゴが伝わった」とは言っても、
踊りに関してはそれが地理的には限定された普及に留まりそうな予想ができる。
余談だが、
「普及」という観点で体系立てて文化が成り立っている「社交ダンス」は
同じ踊りでありながら、日本での全国的な展開に成功した。
2.国内でのローカライゼーション
具体的に言うと、
それは名古屋であったり福岡であったり新潟であったり
地理的に分散した土地特有のローカライゼーションである。
我々は日本のこのような各都市をふくめて、
さらに今後新しくタンゴを楽しみたいと思っている地域に見合った
ローカライゼーションを考える必要があるかもしれない。
だいたい
アルゼンチンだって
ブエノス以外流行ってないじゃん!
と匙を投げる前に。
先日、踊りのタンゴがまだ始まったばかりの地方に行く機会があった。
この第2のローカライゼーションのためには、
次のようなことが必要なのではないかと思っている。
A) その場所に根付いた先生がいる。
B) 近隣のメンバーだけでもコミュニティが成り立つ。
C) 他の地域に対してもオープンである。
初めに言えることとしては A) だろうか。
まずアルゼンチンタンゴを教える立場の人間が
その土地に定着いることが必要なのではないか。
理由としては、
第1のローカライゼーションのところでも少し触れた通りだ。
そして B)、教える立場もいれば、教わる立場、そしてコミュニティが盛り上がる
そういうことが無ければならない。
なぜなら、それがなければ、教える立場が定着できないからだ。
最後に C)、他の地域との交流が無ければならない。
これはただ色々な地域から人が集れば良いということではなく、
イベントの進め方やマナー、そして踊りのスタイル、などにおいて
オープンな考え方をもって、許容範囲を広げていくことができなければならない。
そうすることによって、最終的には「自分(自分達)は楽しいこと・有意義なことをやっている」かどうかを知ることができ、
そして今後の活動において自分自身の絶対的なステータスを拠り所にできるようになるからだ。
全くタンゴの無かったところにタンゴを定着させていくという事は
とても意義深いところなのだという事が分かった。
自分が役に立てることが何か、
どういう考え方が必要なのかを考えたい。
何事も普及のためには
「ローカライゼーション」と「プロモーション」が肝だとされる。
ローカライゼーションと言えば、
それは、もともと英語だったものを日本語で読めるようにするとか、
日本人特有の何かを特別にこしらえるとか、
みたいなものがイメージが思い浮かぶところだ。
※Wikipediaなんかにも少し書いてある。
Wikipedia:ローカライゼーション
アルゼンチンタンゴの普及においても、
やはりプロモーションだけを考えていてはダメなのだろうか。
今日は、
このタンゴのローカライゼーションについて
簡単に整理したいと思う。
1.国をまたぐローカライゼーション
アルゼンチンタンゴは
もちろん、もともとはアルゼンチンで生まれたものであったが、
それが時間とともに日本やヨーロッパに伝わっていって
今の形になっている
それは
一つのアルゼンチンタンゴのローカライゼーション
と言える。
踊りと音楽と歌とが三位一体であったとされる
アルゼンチンタンゴは
このローカライゼーションの過程において
それぞれが独立し、固有の発展を見せている。
たとえば音楽は
昭和の早い段階から日本へ浸透し、
タンゴ喫茶などで人々はタンゴ音楽に接することができた。
歌は場合によっては日本語訳され、楽しまれた。
その後も、コンサートやCD/DVDなどの配布しやすい媒体を使って
全国的に展開されている。
一方踊りはというと、
そもそも「踊り」としてのタンゴは、見る・見せるだけでは伝承が難しかったのかもしれない。
音楽や歌と違って、踊りについては宣教師のような人がアルゼンチン等から伝来して直接人から人へ伝授していくものになっている。
結果として、CDやDVDのような物で一般の人が踊りを目にすることはないし、
あったとしても、コンサートに付随するショーダンスや稀に映画に使われるような映像くらいだ。(それをアルゼンチンタンゴだと認識して、いざ自分も嗜んでやろうと思うに至る人間がどれだけいるだろうか?)
だから単衣に「日本にタンゴが伝わった」とは言っても、
踊りに関してはそれが地理的には限定された普及に留まりそうな予想ができる。
余談だが、
「普及」という観点で体系立てて文化が成り立っている「社交ダンス」は
同じ踊りでありながら、日本での全国的な展開に成功した。
2.国内でのローカライゼーション
具体的に言うと、
それは名古屋であったり福岡であったり新潟であったり
地理的に分散した土地特有のローカライゼーションである。
我々は日本のこのような各都市をふくめて、
さらに今後新しくタンゴを楽しみたいと思っている地域に見合った
ローカライゼーションを考える必要があるかもしれない。
だいたい
アルゼンチンだって
ブエノス以外流行ってないじゃん!
と匙を投げる前に。
先日、踊りのタンゴがまだ始まったばかりの地方に行く機会があった。
この第2のローカライゼーションのためには、
次のようなことが必要なのではないかと思っている。
A) その場所に根付いた先生がいる。
B) 近隣のメンバーだけでもコミュニティが成り立つ。
C) 他の地域に対してもオープンである。
初めに言えることとしては A) だろうか。
まずアルゼンチンタンゴを教える立場の人間が
その土地に定着いることが必要なのではないか。
理由としては、
第1のローカライゼーションのところでも少し触れた通りだ。
そして B)、教える立場もいれば、教わる立場、そしてコミュニティが盛り上がる
そういうことが無ければならない。
なぜなら、それがなければ、教える立場が定着できないからだ。
最後に C)、他の地域との交流が無ければならない。
これはただ色々な地域から人が集れば良いということではなく、
イベントの進め方やマナー、そして踊りのスタイル、などにおいて
オープンな考え方をもって、許容範囲を広げていくことができなければならない。
そうすることによって、最終的には「自分(自分達)は楽しいこと・有意義なことをやっている」かどうかを知ることができ、
そして今後の活動において自分自身の絶対的なステータスを拠り所にできるようになるからだ。