空を見つめて…

立ち止まったって、いいよね。少し休んでもいいよね。

「自分」を見失わないために空を見つめて。。

2011年3月11日 東日本大震災

2011年03月16日 23時14分58秒 | 日記
忘れてはいけないことだから、書き記しておきたいと思う。
いつまでも下を向いていては前へ進めないから書き記しておきたいと思う。




2011年3月11日(金)
成績表を受け取りに学校へ。
この日は私の学科の2・3年生のみ。
私の学年は14:30集合
いつもはほかの学科の人たちが使っている735で1人1人学生証を持って行って受け取る。
みんな受け取り終わって友達と話していた時に起こった。
のちに・・・14:46
ドンと下に沈むような揺れの後に激しい横揺れ。
訓練以外に机の下にもぐったのは初めて。
普通の地震じゃないってすぐに感じた。
のちに知ったマグニチュード9.0
近くにいた先生は真剣に、冷静に・・・
私たちがいたところは震度5強
そして数分後にもう一度大きな揺れ。
隣にいた友達がワンセグで震源を確認したところ東北だということ。
東北が震源で、東京でこんなにも揺れを感じるなんて・・・
少し落ち着いて携帯を手に電話をかけるけどまったくつながらず。
徒歩5分くらいのところにある付属の高校の体育館に行き、すぐ大学の敷地内で一番新しい建物が病院と入試センターへ。
入試センターの2階にある臨床大講堂が避難場所となった。
成績発表を受け取りに来ていて家が遠く帰れなくなった私の学科と学校に来ていた人々。
その間、やっと栃木の父と電話がつながって無事を確認する。
臨床大講堂ではすぐお茶とクラッカーが配られた。
テレビはなかったので友達とワンセグ見ていたらそこには信じられない状況が広がっていた。
地震の他にも津波・・・
もう、絶句というか・・・
病院内や周辺のコンビニはすぐ品切れ。
食品もそうですが、なんといっても携帯充電器が品切れでした。
夜は隣の病院の食堂からおにぎりの差し入れ。
飲食物等は本当にありがたかったです。
母と連絡が取れ、兄は愛知で仕事中だから悪いと思い連絡しなかったらメールが。
それは考えもしない「仙台に出張中で直撃でした」とのこと。
本当に驚きと安心で。。(翌日一緒に仕事していたのかな?東京周辺の方の車に乗せてもらって東京まで来てそこから新幹線で帰ったらしい。)
メールは本当に受け取れない状況でその後センターに問い合わせてようやく数通ずつ受け取るかんじでした。
たくさんのメール本当にありがとうございました。(チェンメ以外。チェンメは一瞬で怪しいと思ったので送っていません。心配していただけるのは嬉しいですが、ガスタンクで放射能・・・?)
JRは終日運休という情報が21時すぎくらいに入ったのでその日に帰ることは諦める。
東京メトロは夜間運行も決めたみたいですね。
臨床大講堂は文化会館のような椅子だったので寝ることもできず友達と隣の病院の1階にあるテレビを観に。
そこでずーっと情報を得ていた。
睡眠は2時間もなかったと思う。
私たちはこのような場所を提供していただけて本当に幸せでした。
私たちのグループは6時前くらいから電車の運行情報を検索して6時ころ出発。
本当に本当にみんながいて良かった。
ありがとう。
私が乗りたい京葉線は動いていなく、動く予定もないようなのでメトロで帰ることに。
大手町(東京駅の地下)乗り換えで行ったら大手町の東西線のホームの人は尋常ではなく、乗車率200%とといっても過言ではないほど。
ようやく浦安で下車。
「水を買ってきて」という母のメールで探したが、全くない。
仕方なく、自販機で数本買った。自販機も水だけなくなっているものがほとんど。
50分くらい遅れてきたバス。交通もパニックですね…。歩こうかとも思ったけど水があったので…。
このときものすごく目にとまったのが私がいた浦安駅とは逆方面から歩いてくる人々。
ものすごい数でした。検討はつきます。おそらくディズニーで地震にあわれた方々。およそ3万人とききました。
地震がおきた日は金曜日。もちろんバイトは行けず。
しかし12日もバイトの予定だったのでメトロから行こうと思っていたが京葉線が動いたようなので自転車で舞浜駅へ。
でも、5分も走らないうちに自転車を止めた。
浦安は海が近くて特に京葉線の舞浜駅や新浦安駅周辺は埋立地は液状化現象で町中が見違えるよう。
目の前にしただけで涙があふれてきた・・・
その後メトロでバイトへ行き、友達と目をあわせた瞬間に母と会った瞬間でさえ流さなかった涙を流した…
事務所で、ほかの人の目も気にせずに・・・
大好きな音楽も嫌になり、ずっと聴かない日々。
ようやく頭の中にコブクロの「どんな空でも」が流れてきた。


まだまだ断水と余震の日々。
地震翌日くらいに隣のマンションの友達からマンション内の1カ所で水が出るということで水をいただき、3日目くらいにスーパー銭湯へ行こうと誘ってくれた。(我が家の車は兄が愛知へ持って行っているので…)
昨日くらいから少しずつではあるが水が出てきたのですっごいすこしずつではあるが湯船をためてお風呂へ。
同じ市内でも被害がひどい場所がまだまだあり、私の友人は都内の別の家へ避難しました。
市内は被害がひどかったため市からの要請に応じ東電は浦安は計画停電しない方向に。
しかし寒くなってきて電力が必要となってきたため昨日から緊急に市内アナウンスが入り、停電することに。
今日もアナウンスが入って、停電するようです。
なるべく節電します。
ということでパソコンもなるべく開けないように・・・
毎日毎日ニュースで被害の状況を観ては涙を流し・・・

被災されたすべての方々にお見舞い申し上げます。

何もできない状況に弱さを感じ・・・
いまだ起こる余震に過剰に反応し・・・


とにかく必要なものが東北へいくようにガソリン!!(発注を受けてそれを流す流通の関係の仕事をしている父は忙しそうなのであまりメールしてませんが…)
そして陰で働く皆様へ敬意を表して。



私なんかが泣いてばかりいられないから。
皆さんのために少しでもできることを探して。



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