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娘さんの側湾症状をどうするべきなのか? ③

2011-08-30 03:59:41 | 側湾のお話
今日、どうするべきか心が決まりました。

天音の両親の私達は、
「オペをしないで、いままで通り過ごす事」を選択しました。



29日月曜日、
ずっと診てもらっている成育医療研究センターの麻酔科を受診してきました。

娘さんは、夜間在宅酸素治療をしているので、
月に1回は、在宅酸素治療をしてくれる麻酔科の受診が必要です。

成育医療研究センターは、元は国立子供病院ですから、
全ての科が小児科でもあります。
もちろん、子どもの頃から通院している成人の方もいます。

子供病院ですから、
小児○○科と言うカテゴリー分けされていません。
普通に整形外科とか眼科とかになります。
内科にあたる科は、総合診療部と言います。

総合診療部の先生でなくても、主治医の先生が風邪を診てくれたりもしますが、
インフルエンザなどの予防接種や乳児健康診断などは総診でします。

娘さんは、たくさんの科で診察をして貰っていますが、
まとめてくれるのは総診の先生です。

今回の側湾症の相談なども総診の先生が、
診療情報提供書を作って持たせてくれました。
一番娘に身近な先生です。

そして麻酔科の先生は、
生後五ヶ月の頃から診察をしてくれていますし、
オペの時はもちろん先生が麻酔をかけて付いてくれますから、
手術の話などは、一番に相談する先生です。

今回の進行性側弯症状の事は、
このお2人の先生のお力添えと、
もう外来には出ていませんが、
昭和大学病院で生まれ、
いったい何が起きているのか病院で判断が付かなかった時に出会った
娘の命の恩人の先生のお力添えで今日に至ります。


今日は、普段通りの診察をした後、
名古屋名城病院でのお話をして、
私達両親の「どうしたいか?」と言う気持ちを話し、聞いてもらいました。

私達は
「オペをせずに、今のままの生活で娘を育てたい」と伝えました。


名城病院のお話の中で、
「これからは呼吸器科の先生が必要になる」と教えて頂きましたので
その話をするとすぐに対応して下さって、
先に麻酔科の先生から呼吸器の先生にお話をして下さるとの事。
9月12日には呼吸器科の受診も出来そうです。


診察が終わって、診察に来ていた友人と耳鼻科の待合で話をしていましたら、
耳鼻科の主治医とも立ち話で少しだけ話す事が出来て、
簡単に事情を説明しましたら、
こぶしを握ってガッツポーズで、
「よし、頑張ろう」と励まされました。
喉頭軟化症は落ち着きましたが、睡眠時無呼吸症候群もあり、
また中耳炎にもなりやすいので、耳鼻科もよくお世話になります。
これからきっと、呼吸器科と耳鼻科の連携も必要となるでしょう。


友人も診察が終わりましたから、地下で軽い食事を取っていましたら、
総診の主治医に声をかけていただけました。
少し同席していただき、
麻酔科で話してきた事を伝え、
先生の質問にも答え、
カフェテリアで30分ほど問診をして下さいました。


どの先生もお忙しい時間でしたでしょうに、
娘のために話をする時間を私に下さいました。

本来なら予約を入れてお話に行かねばならなかったのに、
今日一日で主要の先生には伝える事が出来、
来月の新しい受診科の予約も入れられ、
流れが止まる事無く動き出しました。

こう言うのも、
娘の持って生まれたラッキーな強さだと感じます。

順番に予約を取っていては、軽く2週間は必要な診療科回りが
今日一日で済んだ事は、
「このまま過ごす」と決めてはみたけれど、
いつかの時のバックアップなどに不安があった私の気持ちの雲りを取り除きました。
良い流れで進みだしていると感じました。



帰り道友人と話しながら、
後悔は「後」になって出てくるから「後悔」なわけで、
後って言うのは、事が終わってみなきゃ解らないから、
今後悔しないと心に思っていても解んないよねぇ。
なんて話しました。

他の友人と電話で話した時は、
数%でも可能性があるならば、
トライした方が後悔しないかもしれない。
そんな話もしました。

お世話になっているデイケアのスタッフやヘルパーさんは泣きながら、
今の娘さんは、見る事試す事で心も身体も育っているから、
入院などでその環境をなくしてしまうのが勿体無いと思ったと話してくれました。

寿命と言うのは、なにか決まりがあって、
その人の持つ寿命の中であれば、なんど危ない目にあっても回復し
でも本当の寿命の最後であれば、その時は終わるのだろうと思うのと
お話してくださった方もいらっしゃいました。

何をやってもなるようにしかならい!
そうした意見も頂きました。

頂いた意見がありがたく、1つずつ考え、
私は、
「その日を大事に過ごす事に決めました」
来年の今日どうなってるかわかりませんが、
どうなっていてても良いんだと思いました。

娘と過ごす毎日が、
今と変わらず明るく楽しくが大切なんだと。
本当にその日が大切なんだと思えたのです。


思えたけど、心配がなくなったわけではありません。

たんに、腹が据わったから歩く道が決まっただけです。
腹が据わったと思っていますが、
心配や怖さが消えたわけではありません。

今一番は「怖い」です。
「怖い」って怖がってる自分に心が負けて弱ってるのだとは気が付きました。
怖いと言うのは、
原因がはっきりわかれば怖くなくなる場合もありますが、
今回の事柄は、色々解ってみて、でも「どうなるかわからない」怖さ。

どうなるかわからないなんて、
得体がよく解らんものを怖がっていても切りがないんだと思いました。

切が無い事に追われると日常に乱れが出てしまいます。
3月の震災の時に、それは学習しました。
だから、「いつどんな時も変わらぬ環境を作れる母親になる事」で
その怖さをいつか消せたらと思いました。


今日考えるのは、
今日を楽しくどうするか。
夜になったら明日はどう楽しむか?


いつか出来なくなる事を、出来るよう子育てする事を悩みました…
いつか出来なくなる事を出来るように教えて良いのか?
それは、いつかの悲しみやストレスを増やすだけではないのだろうか?

凄く悲しくて悩んだけれど、
出来る事で明日笑えたり誉める事が増えるなら、出来るようにしてあげたい。

出来なくなる日が来たら、
その時になにかフォローしてやれるだけの強さと賢さを私が見に付けておけばいい。
いままでだって、そう思って色々勉強もしてきています。
天音に我慢をさせる事は今はなく、
私が先に先にと想定しながら環境を作る努力を惜しまない事が
この先を楽しく出来ると考えました。

もちろん私一人では手が足りませんし、無理がたたりますので
ヘルパーさんや友人に支えられながらだと想像しています。


夜友人から届いたメールに、

今いくちゃんが死ぬまでに必ずしたいことは何?
いくちゃんの一番の幸せは何?
考え込まずに直感で。

と。


今の私が思う
私が死ぬまでに必ずしたいことは、
天音が幸せだと感じる、笑顔がもてる日々を一日でも多く一緒に過ごす事です。
一日でも多く一緒に凄し、満足した天音を看取ってから、
それから私は、自分の人生が終わるのがいいです。

今の私の一番の幸せは、
感情が豊かになり、微妙な感情表現も出せるようになった天音に
甘えられたり、恥らったり、パパと楽しそうに遊んだり食事するする姿を見ながら
可愛いなぁ~と思い、天音を抱きしめる時間です。


自分の気持ちに正直だと、
とにかく娘さんと笑顔でいたいのだとわかります。



いつか必ず辛い日は来ます。
天音より先に私かもしれないしパパかもしれません。
でもその日が来た時に、
いつもと変わらぬ笑顔でいられます様にと願います。


名城の先生は、
娘さんが亡くなった後の夫婦2人の事も考えるように教えてくれましたが、
確かに大切な事だと思うのだけれども、
今はなんでか、
夫婦の事は、その時考えればなんとかなるだろうと思いました。
それこそなるようにしかならないな・・・と(苦笑)


やれやれ、心と頭をハードに使った一週間で
いっきに10才くらい老けた気がしてなりません。
一瞬で白髪が生えてメッシュになったし・・・
蕁麻疹は出るし、嘔吐下痢めまい止まらないし・・・

今はまだ、私の体調が万全ではありませんから、
なるべく早く回復して、
早く、天音の好きな私にもどらないとなぁ・・・と。


いつも通りの生活をするだけなので、頑張る事はないのですけれど、
自分の建て直しは、頑張らないと無理なので
そこだけちょこっと頑張ってみようと思います。

ご心配くださり、優しいお心遣いをありがとうございます。
短い期間で出すファイナルアンサーでしたが、
なんとか出す事が出来ました。

皆さんの下さったご助言が、私の体に入り消化され、
「オペをしないで、いままで通り過ごす事」
との答えに辿り着きました。

まだまだ気も抜けませんし、心配もありますが、
これからも、親子共々ご支援よろしくお願いいたします。

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