サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

サードウェイ(第三の道)としての持続可能な社会:自立共生という規範の重視

2017年01月09日 | 持続可能性

今年からブログのタイトルを「サードウェイ(第三の道)」に変更した。持続可能な社会の実現において、”第三の道”を具現化することが必要だと考えているからである。

 

●”第三の道”とは何か?

 

”第三の道”は論点に応じて、様々に示されてきたが、筆者は、第二次環境基本計画(2000年)が示した定義を出発点としている。同計画より、関連個所を引用する。

 

「私たちは、今日の環境問題を解決しようとすれば、人間活動のあり方を見直すことを避けては通れません。」

 

「私たちは、今、分かれ道に立っているといってよいでしょう。選択肢として三つの道が考えられます。第一の道は、これまでの大量生産、大量消費、大量廃棄の生産と消費のパターンを今後とも続けていく道です。第二の道は、現在の社会のあり方を否定し、人間活動が環境に大きな影響を与えていなかった時代の社会経済に回帰する道です。第三の道は、環境の制約を前提条件として受け入れ、その制約の中で資源やエネルギーを効率よく利用する努力を行いながら、これまでの生産と消費のパターンを見直し、これを持続可能なものに変えていく道です。」

 

「私たちは、いずれかの道を選ばなければなりません。しかしながら、第一の道こそが、地球環境問題をもたらしたものであり、この道は、早晩環境の制約に直面し、私たちの生存と活動の基盤である環境を破壊し、社会経済の行き詰まりをもたらすことになるでしょう。第二の道は、生活の質の著しい低下や社会の大きな変動をもたらす可能性が高く、人々は容易にこれを受け入れることはできないでしょう。これらに対して、第三の道は、私たち現在世代にとっては、行動に制約を生じ、到達できる物質的な豊かさを減ずることは避けられないとしても、世代を通じた生活の質を高め、将来世代と環境の恩恵を分かち合うことのできる道です。」

 

「私たちは、環境に関して、将来世代の代理人としての責任を負っています。また、環境に対する人間活動の大きさから、人類は、地球上の生命体共通の生存基盤である環境に対して最も重い責任を有する存在です。このような責任を負う私たちは、多くの困難に直面するとしても第三の道を選択し、全ての知恵と努力を傾けて持続可能な社会を目指し、環境との間に健全な関係を築いていくほかありません。」

 

「これまでの資源・エネルギーの大量使用に依存した大量生産、大量消費、大量廃棄型の生産と消費のパターンから脱却していくためには、生活様式や事業活動の態様を含めて社会全体にわたって大きな変革を行っていく必要があります。また、意識面の転換も必要であり、生活の豊かさや社会の成長を、経済的な側面、社会的側面だけでなく、環境への影響を踏まえて評価する姿勢を確立していくことが必要です。その大きな方向は、自然を尊重し、自然との共生を図ること、そして、極力、自然の大きな循環に沿う形で、科学・技術の活用を図りながら、私たちの活動を再編し直すことです。」

 

同計画が策定される以前から、地球温暖化はライフスタイル問題である指摘され、経済至上主義や場当たり的な対策が批判され、価値規範の転換や代替的な発展の必要性が指摘されてきたが、国の環境政策の基本的方針として、第三の道が示されたことは大きな意味を持つ(はずだった)。

 

●”大きな変革”をなし得てきただろうか?

 

例えば、「21世紀環境立国戦略」(2007年6月、閣議決定)では、「車の両輪として進める環境保全と経済成長・地域活性化」を強調し、省エネルギー、再生可能エネルギー等の環境・エネルギー技術に磨き、創造的な技術革新による新たなビジネスモデルの創出という方向性を示した。これは、これまでやってきた”第一の道”に環境ビジネスを組み込む戦略であり、”第三の道”を創造する方向への転換を意図するものとはなっていない。

 

2011年の東日本大震災及び福島原子力発電所の事故後に、私たちは気づきを得たような気がした。中央集権的なエネルギー政策の問題点、自然の脅威に対して脆弱な社会経済システム、人間が支えあう力の尊さと強さ。それは”第三の道”への歩みを加速させるようにも見えたが、いつのもにか”第一の道”としての復興が主流になっているようにも思われる。

 

持続可能な発展や持続可能な地域づくりについての議論や具体的な検討は継続され、進展をしているように見える。ただし、持続可能な発展にも、”第一の道”、”第二の道”、”第三の道”という選択肢があるはずである。持続可能な発展の条件を満たしさえすれば、”第一の道”を続けることが許容されることもある。持続可能な発展のためには、社会変革が必要だという立場からみれば、”第一の道”の延長上に持続可能な発展を描くことに違和感を持たざるを得ない。

 

●この成り行き的状況で、本当にいいのだろうか?

 

環境エネルギー政策においては、社会転換、ライフスタイル変革、構造転換、抜本的対策等という言葉で方向性が示されることが多い。しかし、その多くは”第三の道”に踏み込むものとなっていないのではないだろうか。

 

もちろん、選択は情報共有と対話と経て、なされるべきものであり、”第三の道”でなければならないという押しつけはできない。しかし、”第三の道”という方向が選択肢とされず、その具体像が理解されることなく、盲目的な選択を続けたり、小さな改善を変革だと喧伝されるとしたら、それは問題である。

 

選択肢が議論されることなく、成り行きの道でひた走ることで、対策が後追いとなり、気候変動や資源枯渇の問題、地域格差の拡大・地域の消滅、精神的ストレスの増大と逃避的行動への埋没等の問題が加速化するとしたら、それを回避する努力を怠ってはならない。

 

●なぜ、”第三の道”への歩みが確かなものとならないか?

 

筆者は、5つの理由をあげる。

 

第1に、痛みを感じて”第三の道”に踏み出すほど、問題が深刻だと捉えられていない。また、問題解決のためには、これまでの方法で十分であり、”第三の道”に踏み出す必要性がないと考えられている。

 

第2に、”第三の道”の具体像は、既に日本各地で始めっているにも関わらず、それが知られていない、あるいはイノベーションとしての価値が評価されていない。”第三の道”は我慢を強いるものでなく、実は人間らしく、より良く生きる歓びを伴うものであるかもしれないが、そのように思われていない。

 

第3に、”第三の道”の具体的な動きが小さく、”第二の道”として実現している既存システムを代替することが不可能だと考えられている。

 

第4に、”第三の道”といっても幅が広く、同床異夢となりがちで、まとまらない。社会転換という場合に共有すべき規範が確立、共有されていない。

 

第5に、”第三の道”を理論化、具体化、政策化する研究がない。

 

 ●”第三の道”のために何をするか?

 

以上の5点を解消する研究や実践を進めたい。次のようなテーマが研究課題となる。

・依存と疎外から自立と共生へという理論構築

・リローカリゼーション・地域主導、公民協働・住民主導、トランスサイエンスのためのコミュニケーション

・第三の道を具現化するニッチ・イノベーションの開発と地域での社会実験

・ニッチ・イノベーションの連鎖からトランジション(構造転換)を図るマネジメント

 

例えば、依存・疎外と自立・共生の状況の違いを、表に対比的に整理してみた。この自立・共生という規範を、持続可能性に係る規範(他者への配慮、主体の活力、リスクへの対応)に重ねることで、第三の道としての持続可能性の規範を構築することできそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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