サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

環境・エネルギー問題解決の立ち位置 ~環境コミュニティ派?

2011年12月25日 | 環境と教育・人づくり

環境・エネルギー問題に取り組む立場は様々であり、解決を図りたい問題は同じとしても解決の手段や目指す社会の方向は異なる。例えば、気候変動対策のために原発を推進する立場もあれば、それを嫌う立場もある。また、環境技術の普及を進める立場もあれば、ライフスタイルの見直しを重視する立場もある。伝統的な暮らしへの回帰を実践する立場もあれば、それを縮小志向として回避し、一線を引こうとする立場もある。こうした立ち位置の多様性は、人間中心か環境中心か、保守的か変革的かという2つの軸で整理することができる。

  

日本の政策がこれまで進めてきた方法は、明らかに人間中心である。環境と経済の統合的発展論は、環境配慮を経済成長の推進力に位置づけるものであるが、経済の継続的な発展が前提にあり、人間中心であることには変わりない。政治家が選挙で票を得るのも、行政担当者が給与の源泉である税収を得るのも人間からであるから、当然といえば当然である。また、保守か革新かという意味では、国や産業を中心とする方法を変えないままに環境・エネルギー対策を進めるという意味では、明らかに保守的である。

  

これに対して、環境中心に変えないと、そろそろ問題解決がしきれないという立ち位置もある。この環境中心の立ち位置も1つではない。これまでの環境思想を振り返れば、環境倫理を社会に取り組むことで修正をしようする環境倫理派(例:ハーマン・デイリーの成長の限界)、環境問題の根本に資本主義の限界を見出し、計画経済である社会主義の土俵で環境配慮を実現しようとした政治による変革を図る思想(例:バリー・コモナー)、自然に権利を与え、自然回帰を重視する思想(例:アルド・レオポルド)等がある。

  

また「コミュニティからの変革」を重視する立ち位置もある。これは、環境コミュニティ派といわれるシューマッハに原型がある。著作「スモール・イズ・ビューティフル」では、過剰な石油依存の問題が露呈した1970年代にあって、小規模な技術、あるいは中間技術という代替案を提示した。また、仏教経済学を提唱し、「適正規模の消費で人間としての満足を最大化」する仏教徒の生活を分析している。日本では、玉野井芳男が「地域主義の思想」において、地域との密着性や地域の経済的自立、地域の固有性を主張したが、これもシューッマッハと同時代にあり、環境コミュニティ派として位置付けることができる。

  

さて、私の立ち位置は何か。私は環境コミュニティ派の立ち位置で、施策を分析したり、提案をしたいと考えている。ただし、思想に忠実であることよりも、合意形成や現実的な問題の解決を実現することが大事だと考えている。現実的に合理的であり、かつ理想を失わずに盛り込むような立ち位置でありたい。

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1 コメント

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環境思想の整理 (山田哲也)
2012-01-21 10:33:37
環境問題に取り組む姿勢を整理頂き有難うございます。
環境問題に関心はあっても、何がどう影響を与えているのか認識するためには、このような分類の軸は必要ですね。学問の目的の一つは、まずは分類することにあると思ってます。
シューマッハの思想は、人間界よりも広い視野で思考しています。インドのリーダー達も、ガンジーの思想を取り入れた仏教経済学をベースに国家作りをしてくれることを期待したいですね。そのためには、先進国であるドイツや日本が範を示す必要があるのだと思います。その範とは何か?ここが議論のしどころなんでしょうね。
沢山のグループが活動を進め、大きなムーブメントとなり、アラブの春ならぬ地球の春を日本から起こせると良いと思います。
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