新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり 1234 田無神社

2020-04-07 06:28:25 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

全国の国指定文化財がある神社を巡ります

今回は 田無神社 です

田無神社の創建は、正応年間(1288〜1293)あるいは
建長年間(1249〜1256)と伝わり、いずれも13世紀・鎌倉時代とされています。
当初は現在の鎮座地より北へ1キロほど離れた谷戸(註1)の宮山に鎮座しており、
尉殿大権現と称しておりました。

時代は下り江戸時代になると、慶長11~12年(1606〜1607)の
江戸城増改築に際して、漆喰の原料である石灰運搬のために
青梅街道が開かれました。
これに伴い、幕府の命令により谷戸の住人たちは青梅街道沿いに
移り住むこととなり、宿場町として田無の町の歴史が始まりました。
このような歴史の経緯の中で、宮山に鎮座する尉殿大権現は、
元和8年(1622)に上保谷(住吉町)に上保谷尉殿権現(現尉殿神社)として
分祀されます。その後の「遷座・分祀」の歴史は諸説あり、
はっきりとしたことは分かっていません。

江戸末期までの神仏習合の時代まで、尉殿大権現は西光寺(現総持寺)が
別当を務め、倶利伽羅不動明王像(龍神)を御神体としていました。
明治元年(1868)の神仏分離令によって、御神体の倶利伽羅不動明王像は
西光寺本堂に奉安遷座することになります。
日本の神として垂迹(すいじゃく)したのが級津彦命(しなつひこのみこと)
・級戸辺命(しなとべのみこと)であり、
本地仏が倶利伽羅不動明王であるとされています。
田無の古文書に、倶利伽羅不動明王だけでなく、
11面観音菩薩も本地仏である記述が残されていますが、
はっきりしたことは判明していません。

元和8年(1622)に宮山の尉殿大権現から分祀された
上保谷村鎮守尉殿権現社(現尉殿神社)に祀られていた御神体も
倶利伽羅不動明王像でありましたが、
現在はかつての別当寺である寳晃院に収蔵されています。

また、江戸時代に尉殿権現社の拝殿に掲げられていた、
「尉殿大権現神号額」は西光寺(現總持寺)に引き取られました。

その後、尉殿大権現は明治五年(1872)に村内の熊野神社、八幡神社を
合祀し、田無神社と社名を改めました。
その際に、大国主命(おおくにぬしのみこと)、
須佐之男命(すさのおのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、
八街比古命(やちまたひこのみこと)、八街比売命(やちまたひめのみこと)、
日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)等、
国内諸神をお祀りしました。
さらに明治43年に町内の5つの小社を合祀、
昭和24年に大阪市阿倍野の大鳥神社より大鳥大神(おおとりのおおかみ)が
分祀され現在に至っています。

谷戸に鎮座していた弁天社、白山神社、熊野神社、
稲荷神社も田無神社に合祀されたという記録が残されていますが、
詳しいことはわかっていません。


◇所在地

東京都西東京市田無町3-7-4

◇最寄りの駅

西武新宿線「田無駅」北口より徒歩6分

<田無神社 ホームページより >
http://tanashijinja.or.jp/




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◇ 新横浜 占いの真龍堂 予定表 ◇



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