※参照:
2月1日~2月5日 カンボジア・ベトナム視察(新開昌彦オフィシャルサイト)
2月2日 バンテアイスレイ小学校
日本も出資している現地法人が建設したバンテアイスレイ小学校を訪問した。2003年度の実績で、1年生から6年生まで生徒数は771人。そのうち女子生徒が339人だ。教科は算数、国語、理科、社会。授業風景を見せてもらった。みな字(クメール文字)が上手で丁寧。校長の話によると、上の学年に上がるための試験があるという。
カンボジアのインフラ整備は全くこれからの状態で、校舎にも電気はきていなかった。日当たりの悪い校舎は、かなり暗い。天井に穴が開いている教室もあった。
カンボジアの小学校は午前、午後に分かれ、生徒はどちらかに行くようになっているそうだ。小学校に向かう途中、貧しそうな家々が建つ村を通ったが、学校に行けない子どもも多くいるようで、家の手伝いや農作業をしている子どもの姿を多く見かけた。学校に通い勉強をするという、日本の子どもにとっては当たり前のことが、どれほど幸せなことかと考えた。
アンコールワット、バンテアイスレイ遺跡、プノンバケン遺跡
カンボジアの宗教は、時々の政権(王様)につれて大乗仏教、ヒンドゥー教、小乗仏教と変化してきたそうだ。今回、訪れた遺跡はすべてヒンドゥー教時代の遺跡。なかでも有名なアンコールワットは世界遺産に登録されている巨大遺跡だ。バスで深い森の中を走りぬけると石の巨大な遺跡がいくつも現れる。その最大の遺跡がアンコールワットだ。天空にそびえる65メートルの尖塔、急斜面の大階段、大回廊、本殿まで続く540メートルの長い参道が、すべて巨大な石積みで造り上げられている。
回廊に刻まれたレリーフは、生き生きとして感動した。世界中がこの遺跡の保存や復元、発掘に取り組んでおり、もちろん日本の姿も見られた。「アンコール遺跡は、遺跡自体の中に往時の人たちの願いや祈りが塗り込められている。バイヨンの四面尊顔には喜び、哀しみ、怒り、怨念など、今の私たちと同じように人間の様々な感情が映されている。アンコール・ワットの尖塔、バンテアイ・スレイの美しい女神と切妻壁のヒンドゥー教神話のレリーフ、枚挙にいとまがないほど往時の人々のメッセージが届けられている」
(石澤良昭・上智大学教授/アンコール遺跡国際調査団団長、上智大学アンコール遺跡国際調査団のホームページより)。内戦の名残として、遺跡にはいくつか銃痕が残っていた。
スナーダイ・クマエ孤児院 ポルポト政権下で生死をさまよい、18歳の時に難民として来日、苦学の末に東海大学を卒業後、故郷のカンボジアに戻ったメアス・トミーさんが開いた孤児院、それがスナーダイ・クマエ孤児院だ。日本人の奥さん、メアス・博子さんに案内していただいた。
スナーダイ・クマエとは「カンボジア人の手によって」という意味だそうで、子どもたちへの教育を通してカンボジア人自身による自立への願いが込められている。現在、24人の子どもたちがここで生活し、日本語を含めた教育を受けている。意外だったのは、子どもたちが「内戦孤児」ではなかったこと。実は「内戦孤児」は既に今の親の世代になっており、新たな経済孤児を生み出しているのが実情とのこと。カンボジアでは平均で一家庭に10人の子どもがおり、経済的に両親は子どもたちを養うことができないケースが多い。スナーダイ・クマエには両親健在の子、父か母が死亡している子、両親ともいない子が混在している。女子11人のうちの7人は家庭で親から虐待を受け、保護された少女だという。
私は、日陰でバスの絵を描いている博子さんの子息と話をした。「どうしてバスを描いてるの。さびしくない。」と聞くと「さびしくないよ。また、お父さんのところに皆でバスに乗っていくんだよ。」と答えてくれた。 帰国後、メアス・博子さんからメールをいただいた。その中にあった次の言葉が印象的だった。「カンボジアは長い内戦の中で知識人がほとんど抹殺された特殊な国ですので日本の戦後と比べると発展の歩みは遅くなると思います。今の子供達にどういった教育を行なうかということが今後の国づくりに大きな影響を及ぼします。(中略)全ての子供の人生を背負うことはできませんが、人生のうちの数年を一緒に過ごす縁があった以上、私たちができるだけの環境を彼らに提供していきたいと考えております」。