太田市長とれたて日記

清水まさよしが太田の元気をお届けします

八ツ場ダム、不必要なら止めればいい。ただ・・

2009年09月24日 | Weblog

昨日、前原大臣が長野原町に来られた。
「八ツ場ダムは中止する」と念押しに来たようなもの。それは民主党の政権公約だから当然のことだ。仮に、「再考してみる」なんてことを言えば「政権公約ってなんだ。選挙のためにうそをいうのか」民主党バッシングは必ず起こる。

テレビを見ていて思った。
知事も町長も、みんな原稿を読んでいる。自分で書いたものか、役人の書いたものか、そんなことはどちらでもいいが、あれは自分の気持ちを強くぶつけて欲しかった。原稿を読む、というのではディベートにならない。言葉は強く言っているように感じたが、迫力が欠ける。『心の底から』がない。
そもそも「中止反対」では議論にならない。民主党の「むだな公共事業の入り口が八ツ場」なのだから。

私も八ツ場ダム予定地に行ってみた。
あの吾妻峡にコンクリートの塊が散在する。3分の2が終わったということだ。
治水なのか利水なのか、遠くにいて関心も薄かった。景色が変わるということは群馬の誇りをひとつ失うことになることは事実である。
でも、景観を変えてでも下流に住む人たちの命のためならば長野原町の人たちが犠牲になってもいい、という。なら、もっと早く決断ができなかったのか。世代が代わって『社会的貢献』の心になったというわけだ。

民主党は治水も利水も『問題ない』と判断した。自民党は共に『問題あり』であったはずだ。それを決めたのは国会議員であり、地元には小渕さんと山本さんがいる。テレビには彼らの顔も声も出てこない。
自民党は総裁選をやっているが、これだけの騒ぎになっているのにこのことについてだれも発言しない。『世代交代』とは何だ、このダムを例にとって世代交代すれば何が起こるのか、論理的に話をしてくれれば「河野太郎でもいいや」ということになるのに抽象的なことばかり。
推進してきたのは自民党だ。4,600億円もの税金を使って「お国のため」にがんばってきた。それが『むだ』と言われて静かにしているというのは認めているのか、ということか。
小渕さんも山本さんも、そして総裁選に立候補している方たちも意見を言ったらどうか。

「ダム中止反対」だけではだめだ。
ばらばらにさせられた地域住民が問題だと思う。ある人は新天地に移転、そして残留組がある。これじゃ、まちが壊されたも同然である。「地域主権」と民主党はいっているけど、ばらばらでは地域主権どころか地域破壊である。
早期に新天地に移転し、生活の再構築をすることを進めるべき。これは民主党の政権公約にも合致する。

そして、吾妻渓谷の再現である。
あのコンクリートの塊は吾妻川には似合わない。自然を完全に壊している。緑の森林は裸にされている。あのコンクリートを民主党の責任で片付けなければいけない。
むだな公共工事だったとしても、後始末のシナリオを併記すべきである。できれば、早期にタイムスケジュールを出すべきである。

私も建設途中の庁舎を全面否定して市長になった。
市長に就任したその日に庁舎建設を中止した。私の公約である。基礎杭は打たれ、コンクリート基礎はできていた。前日までダンプが行き交う工事現場は平静になった。
しかし、私の心は毎日激しく揺れていた。
「自分の描く庁舎ができるか」
それは大幅な建設費用の削減、ランニングコストを最低に抑制できる庁舎、そしていずれくる環境への配慮(太陽光発電の導入)など、顔は自信に満ちながらも心は不安でざわついていた。14年前の話である。
議会を説得するのに1年かかった。設計を全面的に変え建設再開した。建設費は30億円削減できた。ランニングコストは3分の1になった。あの時代ではめずらしい太陽光発電を窓ガラスに入れた。自分なりに満足の結果だったと思う。

中途の公共事業を中止するのは、それなりの覚悟がいる。
前原大臣のほとんど表情を変えない顔、姿を見ていると、政権公約の目玉を遂行するための自信がみえる。それを早く出すべきではないか。
地域を守ってやること、吾妻渓谷を昔の姿に戻すこと、これをテーマに早急に予算化をすべきである。
「ダム中止反対」などとはいわない。
私、県民の一人としてこの二つのことをぜひお願いしたい。


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