あくまで気分の問題だが、ガソリンの暫定税率は何とかならないものか。
これだけガソリンの値上げがあれば「もう少し安くならないかな」と思うのが人情。
できない相談というのがある。「リッター150円はちょっと高すぎない?」はできない相談の範ちゅうだろうか。
昨日、「トラック協会の事務長を送る会」があった。忘年会である。そこで、ある運送会社から「月100万円はコストアップ。これじゃやっていけない」という声があった。
軽油が倍になった。お互いぎりぎり、お客様が「たいへんだね。それでは・・」ということなどありえない。楽ではないということだ。とはいえ、しょんぼりした忘年会ではなく、けっこうにぎやかだった。やけのやんぱち(こんなことばあったよね)ということかな。
「南一番街に行くか!」なんてやっていた。
企業だって農業だって油の高値でみんな困っている。日本の経済力は必ず落ちる。国際競争力も落ちる。素人が考えたってちっともいいことはない。
東京など大都市なら車を使わなくても生活できる。電車、地下鉄、とにかく網の目のように隅々まで張りめぐらされている。都会では車を買わない若者が多くなったと聞く。国内の車の売れ行きは伸びがなくなった。高齢者が増えたというだけではないようだ。
ガソリン代が響くというのは地方のことかもしれない。
わがまちをみれば鉄道がない。会社に行くのも車、買い物も車である。
東武鉄道があるじゃないか、それは東京に行くならそれもいいが日常の足代わりにはならない。車は欠かせないのだ。つまり、ガソリンがなければ何もできない。逃げ場がないということ。そのガソリンがこの高値、ほとほと困ってしまう。
道路をつくることも大切だ。そのため暫定的に、とはいえ10年間リッター25円を付加していくという。
ガソリン100円の時代には「暫定税率がどうのこうの」と口を尖らせたわけではない。ほとんど気にしていなかった。ところが、高値が定着してくると「ちょっと待てよ」という意見がでてきても不思議ではない。「当面は道路づくりよりも生活をこわさないで」ということだ。
太田市でガソリン税から6億円くらい国から交付されている。これが減らされると困ることは確かだ。でも、こんなとき「市民はどっちを選ぶ?」と問いかけてもいいんじゃないか。
しばらく新規道路は10%程度完成が遅れる。100メートルできるはずの道路が90メートルになる。それとも、ガソリンをリッター25円安くする。「どっちがいいですか?」と。
ガソリンが安い時代と今とでは条件が違うように思えてならない。道路建設はしばらくスピードダウンすることも止む無しと思うが、どうだろうか。
高速道路の料金を安くする。暫定税率はそこにも使うという。
民営化された。高速道路は民間会社である。そこに税金を投入して安くするという。どうもお門違いのように思う。これじゃ、国のひも付き会社であって民営化した意味が薄れる。というか、ルール違反ではないか。
夜間は車が少ない。ブレーキをかける車もなく道路の傷みはほとんどない。安くしてもっと多くの利用者に喜んでもらえるようにするのは経営努力。コスト削減でお客様に還元するのも企業努力。
なにも暫定税率25円から補填する必要はない。
暫定税率の話題は消えかかっている。その影で、元売の石油会社はかなりの利益をあげている。
これからの10年はガソリン、灯油などどうなっていくのか不安になってしまう。