通りすがり~の~くまの備忘録かぁ~

通りすがり~の~くまの日記!?

知らなかった関門トンネルさんは、完成してから80年もたつのかぁ〜凄い!

2024-08-12 22:34:08 | 構造物(建物や鉄塔や橋)〜
お疲れさま〜の〜こんばんわ🌆です😌

お盆休み3日目〜
疲労が蓄積されていたぁ…(笑)

土曜日は、夕方から元会社の後輩君と約1ヶ月ぶりにお食事会を〜

それにしても夕方でも、ヤバい高温多湿の陽射しが強くて、首用のアイスノンを巻いて、いつもの串揚げ屋さんに向かって…ヘトヘト君。

やっぱし、2ヶ月ぶりに串揚げ屋さんで飲み食いして、いつもと同じぐらいだったけど、地味に値上がっていたなぁ~と感じる。

元会社の後輩君は、世の中の裏と表の色んな事を話せる後輩なんだけど、お友達なんだよ〜大切な友だよ!

また改めて感じる一時だったよ😊


その後に行き付けのスナックに行って、超お疲れモードで、久々に帰り際にウトウトしてしまっていたよ…

昨日は爆睡モードで…

今日はのんびりのんびりと先程、久々に炊き込みごはんやら、ごはんの支度をして〜ね!


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そして、ちょっと気になる本州と九州を結ぶ「関門トンネル」て作られてから80年もたつのかぁ〜

世界最初期の海底トンネルで、戦時中に完成してるんだね!

□戦時中も工事が続行され貴重なインフラに

陸軍が後押ししたのは、このトンネルが開通し実績できれば、国内の流通の安定だけではなく、当時の計画としてあった「大東亜縦貫鉄道構想」満州から九州までを鉄道網を構築しようとした計画で、九州、壱岐、対馬、朝鮮半島を海底トンネルで繋げて、北京から東京までの鉄道を繋げる構想、後に新幹線の元になる先駆けの構想。

トンネルで大陸まで繋げば、陸軍は大陸向け軍事物資を輸送の多くを鉄道で行える事で、海上輸送よりも、安定した補給路を確保出来る。


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日本最初のシールドマシン🎶


通りすがり〜の〜くま🐻も知らなかったんだけど、「関門トンネル」での建設で、当時の最新鋭技術の「シールドマシン」、円筒形の掘削機を使ったシールド工法が採用されて、この工法の成功の為に、関係悪化していたアメリカに視察に訪れる念の入れようにも驚くし徹底していたみたい。


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ドーバー海峡のフランス側で使用したシールドマシン川崎重工業さんです😌


日本に無い技術だからこそ、シールド工法の技術習得しようとしていたんだね!
こんにちに繋がる技術だもんね。
ドーバー海峡のフランス側から使われたシールドマシーンて確か川崎重工業さん。
ちょっと脱線君。

1937年7月には現場機関として鉄道省下関事業所が発足。同年9月19日に九州側の小森江で起工式が行われ、空前の大工事がスタートします。
工事中に、第二次世界大戦が勃発して戦略的に重要であるとして工事は続けられた。
下り線は1942年7月1日に開通、上り線のトンネル開通は前出の通り1944年8月8日に開通。この時期は、大戦も終盤で日本は敗色は濃厚になり、サイパン陥落し、本土空襲の危機感も高まった。

1945年に入ると、本土空襲に加え、「餓死作戦」による機雷による海上封鎖作戦で、日本の海上輸送力は極端に低下して、そこで重要度な地位をえたのが完成したばかりの関門トンネルで、本州と九州間の石炭やら物資、さらに兵員や兵器の輸送を比較的に安全に行う事が出来た。また、戦後でも日本の交通網における要所のひとつとなり、戦後復興を支える重要インフラのひとつになりました。


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因みに、国道2号が走る「関門国道トンネル」関しても戦前に計画され1937年から掘削が開始されていたが、地質などを調べる導坑の掘削が終わった後、戦局悪化で工事が中断。
戦後1952年に工事が再開して1958年3月9日に開通する。

結構歴史ある、本州と九州をつなげてる「関門トンネル」も、80歳なんだぁ〜ね!

日本の物流インフラの縁の下だもんね。
支えてくれてる関門トンネルさんの感謝とありがとうさんです😌


「関門トンネル」ついに80歳 “橋ではダメだ”戦時中でも建設断行の裏にあった「超壮大な計画」とは | 乗りものニュース

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今日も通りすがり〜の〜くま🐻の備忘録を読んで頂いてありがとうさんです😌

明日は、凄いストップしていたプラモデル作りを再開する予定(笑)