『ザ・クロマニヨンズ』の曲に《鉄カブト》というタイトルの曲がある。2008-9年くらいに発表された楽曲ではなかったか。アルバム【MONDO ROCCIA】に収録されている。大好きな曲のひとつだ。
この曲の詩の中に、『届かない手紙を書く』や、『あの人の思い出は守ってくれ鉄カブト』というフレーズがある。
ライブのDVDを観るたび、ヒロトが伸ばすその手に、訴えかける声に、メロディに、胸の奥の大切なものを鷲掴みにされる思いになる。かなり好き。
そして私は考える。
「届かない」と思って何もせず諦めてしまうと本当に届かない。
物事を見極める、ということとは勿論違う意味で。あ、法律と誰かへの尊厳は守ってください。あなた自身の尊厳も。
届かないかもしれないが、手をそっと前に出してみると意外とそれは近くにあるのかもしれない。
手を出してみても届かない、と感じたとしても、手を伸ばす前よりは近くにあるはずだ。そして少し身を乗り出してみる。そうすればまたほんの少しそこに近づく。もう少し、もうちょっと。
そんなことを繰り返し、乗り出した体が転ばないように一歩、また一歩と足が前に出る。知らず知らずに少しずつ近づいて行く。
そのうち慣れてきて、思い切り手を伸ばし、もっと前へ、あと少し、と思えた途端、届かないと知るかも知れない。
でもいいじゃん、と私は思う。
手を伸ばしたという行為そのものが、その片鱗に間違いなく触れたのだから。
後ろ髪を引かれて後悔するよりは、前のめりで倒れる方がいい。なんていうのは若かりし頃の私の理想論。実際には、前のめりに倒れ込んで転がり落ち、強打しまくった挙句立ち上がれなかったりした。そして新たな一歩に怖じ気付く。
物事やその時の精神状態によっては、手を伸ばすのがとても困難で怖いことがいくらでもある。一歩踏み出すこと自体に、何日も頭を抱え躊躇する。
そんな折、この言葉が幾度となく私の前に現れる。
スペインの建築家、アントニ・ガウディ(1852-1926)。
彼はサグラダファミリアでの一日の仕事終わりに毎回、
「諸君、明日はもっといいものを創ろう」
と職人たちに言っていたそうだ。
「明日はもっといいものを創ろう」
この曲の詩の中に、『届かない手紙を書く』や、『あの人の思い出は守ってくれ鉄カブト』というフレーズがある。
ライブのDVDを観るたび、ヒロトが伸ばすその手に、訴えかける声に、メロディに、胸の奥の大切なものを鷲掴みにされる思いになる。かなり好き。
そして私は考える。
「届かない」と思って何もせず諦めてしまうと本当に届かない。
物事を見極める、ということとは勿論違う意味で。あ、法律と誰かへの尊厳は守ってください。あなた自身の尊厳も。
届かないかもしれないが、手をそっと前に出してみると意外とそれは近くにあるのかもしれない。
手を出してみても届かない、と感じたとしても、手を伸ばす前よりは近くにあるはずだ。そして少し身を乗り出してみる。そうすればまたほんの少しそこに近づく。もう少し、もうちょっと。
そんなことを繰り返し、乗り出した体が転ばないように一歩、また一歩と足が前に出る。知らず知らずに少しずつ近づいて行く。
そのうち慣れてきて、思い切り手を伸ばし、もっと前へ、あと少し、と思えた途端、届かないと知るかも知れない。
でもいいじゃん、と私は思う。
手を伸ばしたという行為そのものが、その片鱗に間違いなく触れたのだから。
後ろ髪を引かれて後悔するよりは、前のめりで倒れる方がいい。なんていうのは若かりし頃の私の理想論。実際には、前のめりに倒れ込んで転がり落ち、強打しまくった挙句立ち上がれなかったりした。そして新たな一歩に怖じ気付く。
物事やその時の精神状態によっては、手を伸ばすのがとても困難で怖いことがいくらでもある。一歩踏み出すこと自体に、何日も頭を抱え躊躇する。
そんな折、この言葉が幾度となく私の前に現れる。
スペインの建築家、アントニ・ガウディ(1852-1926)。
彼はサグラダファミリアでの一日の仕事終わりに毎回、
「諸君、明日はもっといいものを創ろう」
と職人たちに言っていたそうだ。
「明日はもっといいものを創ろう」
この短い言葉に、職人に対する賛辞と敬意と労い、そして希望が込められている。なんだか心のざわつきが鎮まっていく。
『届かない手紙を書く』
あの思いがまたほんのちょっと顔をのぞかせる。
そしてそれは、もっと軽やかでいいのかもしれない。
『届かない手紙を書く』
あの思いがまたほんのちょっと顔をのぞかせる。
そしてそれは、もっと軽やかでいいのかもしれない。