「可哀想」の言葉の用法が面倒になった時代だから私は慎重に使用するが…
愛犬が酷い事故に遭った→「可哀想…」→「うちの犬は可哀想な犬なんかじゃない!」でキレる奴には、何も話をしたくないなあ…
世代的なものもあるだろうけど、あの本やっぱあわねーわ。(笑)
可哀想って言った人は、不幸な体験した、その体験だけを可哀想って言ってるのにな…
むしろそんな体験を乗り越えて頑張ってることを尊敬するっていうニュアンスすらあるんだけど?
分かんないんだろうね、こういう事でキレる人は。その人自身にそういう感覚がないから。
一度でも幸せコースから外れた経験に対し「可哀想」と言うことで、それだけでその犬だの人の人格や人生の全てを無様で「可哀想」なものにしてしまう ってなこと書いてあったよ――、そっちのほうがどうかしてるわ!
私は不運な目に遭った犬にも人にも、全くそんな事は思わない。
例えばトンネルの崩落にたまたま巻き込まれただけで、その人は「巻き込まれた可哀想な人」だけの存在になってしまうって事だろ? んなわけあるか!それまでのその人の生きてきた何も、一切そんな事では損なわれないっての!
一つの面でしか物事を見られない単純な奴だなあ。 あまりに差別的だし。
…まあ、でも色々めんどいから可哀想は使わんけどね。
あと家族が死んで悲しんでる人に向かって、「自分だけが不幸だと思ってそんな自分に甘えている」とかいう意見も、私は全く支持できない。不愉快だ。
ちなみに上の話と同じ人(爺さん)の意見なんだなこれが。。。
本当に悲しい時には、他人との比較なんか関係ないし。そんな余裕ないっての。
愛した分だけ自由に悲しめばいいと思うよ。
悲しみを知らない人間がそんなにいいか? 悲しみを知り、人は愛を知るのではないか?
痛みを知らない人間が誰に優しくできるんだよ。 いい詩の一つもかけないよそんなヤツ。
(あんたは何がそんなに怖いの?しんどい話は苦手なの?みんなが常にポジティブじゃないと不安なの?)
という、個々の点への反感も相当なものなのだが、一番気持ち悪かったのが大きな「矛盾」だな。
寝る前にトイレに入って軽い気持ちで本開いてものの1分(糞ではなく←…)で、モヤモヤしちゃってw
それで寝付けなくなったせいでこんな投稿しちまったよ。 スマンw
いくつかの話をして、直接関係ない話の中に矛盾があるならまだ分かるよ?
直接関係する一つの話の中に矛盾があるっていうのが、気持ち悪い。
結論に至った動機と、その結論の内容が矛盾してるんだもんな。 そんなんでいいの?
「死んだ家族を可哀想、悲しいと思うのは、自分が一番不幸だという甘え」 が結論。
その結論の補足が、「その人を可哀想だ、悲しいんだと思うことで、その人の全てを否定することになる」。
なのに、どうして死んだ家族を悲しむことが甘えだと気づいたのかというと、
「自分よりもっと不幸な人たちに会ったから」 らしいんですよ。
不幸… えっ…?w
人さまを勝手に可哀想扱いする事は悪いとしながら、勝手に人さまを自分より不幸認定する事はいいんですか?w
意味不明だよな。 こんなに簡単な文脈内で矛盾してるって、どうなってんだよホント。
しかも直接的な一本の文脈でだよ?
…なんだかなあ…誰も気づかないのかな…w
これが論文なら、多分再提出だな。
怖いね。 こんな風な歳の取り方はしたくないし、盲目的にこういう人の話を鵜呑みにする取り巻きも怖い。
反面教師にしよう。
結局はさ、とことん弱者を見下して毛嫌いしてるから、自分がそれに近づくのを恐れてるんだよね。こういう人って。
だから権利に寄りかかり、人を枠に押し込めようとする。
でもこういうヤツらがマジョリティだという事実…。 恐らく今後はますます増える。
愛犬が酷い事故に遭った→「可哀想…」→「うちの犬は可哀想な犬なんかじゃない!」でキレる奴には、何も話をしたくないなあ…
世代的なものもあるだろうけど、あの本やっぱあわねーわ。(笑)
可哀想って言った人は、不幸な体験した、その体験だけを可哀想って言ってるのにな…
むしろそんな体験を乗り越えて頑張ってることを尊敬するっていうニュアンスすらあるんだけど?
分かんないんだろうね、こういう事でキレる人は。その人自身にそういう感覚がないから。
一度でも幸せコースから外れた経験に対し「可哀想」と言うことで、それだけでその犬だの人の人格や人生の全てを無様で「可哀想」なものにしてしまう ってなこと書いてあったよ――、そっちのほうがどうかしてるわ!
私は不運な目に遭った犬にも人にも、全くそんな事は思わない。
例えばトンネルの崩落にたまたま巻き込まれただけで、その人は「巻き込まれた可哀想な人」だけの存在になってしまうって事だろ? んなわけあるか!それまでのその人の生きてきた何も、一切そんな事では損なわれないっての!
一つの面でしか物事を見られない単純な奴だなあ。 あまりに差別的だし。
…まあ、でも色々めんどいから可哀想は使わんけどね。
あと家族が死んで悲しんでる人に向かって、「自分だけが不幸だと思ってそんな自分に甘えている」とかいう意見も、私は全く支持できない。不愉快だ。
ちなみに上の話と同じ人(爺さん)の意見なんだなこれが。。。
本当に悲しい時には、他人との比較なんか関係ないし。そんな余裕ないっての。
愛した分だけ自由に悲しめばいいと思うよ。
悲しみを知らない人間がそんなにいいか? 悲しみを知り、人は愛を知るのではないか?
痛みを知らない人間が誰に優しくできるんだよ。 いい詩の一つもかけないよそんなヤツ。
(あんたは何がそんなに怖いの?しんどい話は苦手なの?みんなが常にポジティブじゃないと不安なの?)
という、個々の点への反感も相当なものなのだが、一番気持ち悪かったのが大きな「矛盾」だな。
寝る前にトイレに入って軽い気持ちで本開いてものの1分(糞ではなく←…)で、モヤモヤしちゃってw
それで寝付けなくなったせいでこんな投稿しちまったよ。 スマンw
いくつかの話をして、直接関係ない話の中に矛盾があるならまだ分かるよ?
直接関係する一つの話の中に矛盾があるっていうのが、気持ち悪い。
結論に至った動機と、その結論の内容が矛盾してるんだもんな。 そんなんでいいの?
「死んだ家族を可哀想、悲しいと思うのは、自分が一番不幸だという甘え」 が結論。
その結論の補足が、「その人を可哀想だ、悲しいんだと思うことで、その人の全てを否定することになる」。
なのに、どうして死んだ家族を悲しむことが甘えだと気づいたのかというと、
「自分よりもっと不幸な人たちに会ったから」 らしいんですよ。
不幸… えっ…?w
人さまを勝手に可哀想扱いする事は悪いとしながら、勝手に人さまを自分より不幸認定する事はいいんですか?w
意味不明だよな。 こんなに簡単な文脈内で矛盾してるって、どうなってんだよホント。
しかも直接的な一本の文脈でだよ?
…なんだかなあ…誰も気づかないのかな…w
これが論文なら、多分再提出だな。
怖いね。 こんな風な歳の取り方はしたくないし、盲目的にこういう人の話を鵜呑みにする取り巻きも怖い。
反面教師にしよう。
結局はさ、とことん弱者を見下して毛嫌いしてるから、自分がそれに近づくのを恐れてるんだよね。こういう人って。
だから権利に寄りかかり、人を枠に押し込めようとする。
でもこういうヤツらがマジョリティだという事実…。 恐らく今後はますます増える。