2月21日(木)9時、教養懇話会のメンバー3名は姶良市加治木町ふれあいセンターに集合して今月担当のYさんの案内でフイルドワーク(霧島市の西部巡り)を行いましたので、その概要を紹介します。
〇塩浸温泉と坂本龍馬・・約150年前、京都で寺田屋事件があり、幕末の志士坂本龍馬は手に傷を受けた。身の危険もあり西郷隆盛から切り傷によく効く温泉があると湯治を勧められ、妻のおりょうさんと一緒に訪れ霧島に18日ばかり滞在した・・
〇和気神社・・和気清麻呂(733~799)奈良時代末から平安時代初期の政治家・・政争に敗れて大隅の国に流されたが、大隅の地で洪水を防ぐための堤防を築いたり、貧しい人たちに農具を買い与えたりした。村人たちは村の恩人として深く尊敬し、清麻呂の業績や遺徳を世の人々に知らしめるため和気神社を造社した。藤の名所としても知られ4月中旬から藤祭りでにぎあう・・
〇熊襲の穴・・妙見にあり、第Ⅰ洞穴・・畳100畳位の広さがあり見学できる。第2洞穴・・畳300畳の広さがあるが入り口の土砂崩れで入ることは不可。・・第Ⅰ洞穴でカワカミタケルはヤマトタケルに殺され、熊襲は滅ぼされたといわれている。(今回は洞穴は見学せず近くの道路で説明のみ)
〇日当山侏儒どん・・日当山の地頭職 徳田太兵衛 1634年(嘉永11)没す・・約400年前 島津氏18代家久と19代光久に仕え、寵愛をうける・・身の丈3尺(約90㎝)だったが頭の回転の早さは抜群で、殿様がどんな難問を出しても、すらすらと答えを返したといわれている。頓智のきく人であった・・(頓智話の紹介があったが省略)
〇日当山西郷どん村・・西郷どんの宿は西郷隆盛が日当山温泉で湯治したときに宿泊した宿が龍寶家で、今回建設された「西郷どんの宿」は当時の龍寶家を基に平成29年(2017)12月に建てられた。平成30年度に物産館・レストラン・足湯もオープンしており、今回はレストランでバイキングの昼食をいただいた。
〇隼人塚・・720年律令国家の権力支配が過酷になったとき、隼人はやむなく国分平野を中心に反乱を起こしたが、この乱で斬首・捕虜になった隼人族は1400人あまりといわれている。そのあと、歌人で知られる大伴旅人が鎮定した隼人族の鎮魂のために建てられたのが隼人塚である(古くは熊襲塚とも呼ばれていた)
大正10年(1921)国指定の史跡となり1999年現在の形に復元されたが、今回19年ぶりに修復されたので、隼人塚史跡館で専門家の説明を聞いてから修復された隼人塚を見学し専門家の話を聞くことができた。
今回のフイルドワークは天候に恵まれ、霧島市西部の遺跡などを見てまわり楽しいひと時を過ごすことができました。今月担当のYさんは事前にコースを下見して準備をされていたので、遺跡や人物についての説明が的確でした。また現地ではガイドや専門家の説明もあり充実した一日を過ごすことができました。フイルドワークの様子を写真で紹介します。
塩浸温泉の露天風呂
塩浸温泉の龍馬・おりょうさん像
和気神社の看板
和気神社の絵馬
和気神社の鳥居
和気神社の白猪
犬飼の滝の展望所
犬飼の滝
日当山侏儒どん・・日当山の地頭職 徳田太兵衛の碑
日当山侏儒どん像
日当山西郷どん村・・「西郷どんの宿」外観
「西郷どんの宿」・・内部を説明するガイドさん
日当山西郷どん村・・足湯
日当山西郷どん村・・レストラン
日当山西郷どん村・・物産館
隼人塚史跡館の入り口
隼人塚史跡館の内部で専門家による説明
隼人塚で専門家による説明
隼人塚の見学が終わって帰路につくメンバー
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