母(102歳)は私の家から約2キロ離れた私の別宅に住み,2階には娘が住んでいるので、安否確認は娘に依頼し、娘が不在の場合に備えて、室内にカメラを設置して私がスマホで確認することにしてきました。
私は毎週3~4回訪問して母を支援してきましたが、4月24日(金)に訪問した時には特に変わった様子もなく、27日(月)の午后に買物の要望を聞くため連絡をしたところ、電話が出ないしカメラでも確認できないので、行ってみるとベッドに倒れかかって意識のない状態になっていました。
119番に電話して救急に確認してもらったところすでに死亡していたので、救急から警察に連絡、警察による調査が行われ、娘も職場から帰宅して事情を聞かれました。調査の結果、特に事件性はなく、医師の診断で死因は虚血性心疾患で死亡推定時刻は26日21時頃と判定されました。
警察の調査が終わったので、妻が事前に手配していた葬儀社に来てもらい、仮通夜室に安置して妻と二人で仮通夜と葬儀社との打ち合わせを行いました。
コロナで外出自粛が要請されている中での葬儀なので、出席者は身近な親族だけで行うことを決めて、その他の人には事情を説明し出席をお断りすることにしました。
28日、通夜の当日は納棺師による湯鑑式があり、18時から通夜式が行われました。
29日は葬儀5分前に生前の母の様子をDVDで上映、10時からの葬儀は、母が15年前まで賄いの仕事をしていた東本願寺鹿児島別院の僧侶により厳かに執り行われたました。その後に姪によるお別れの言葉、献奏(生演奏で「千の風にななって」)、喪主挨拶の後、出棺となり火葬場に移動しました。
火葬が終わって納骨を済ませ、再び斎場で初七日式を済ませて帰宅し、自宅の仏壇に祭壇を設置してもらい遺骨を安置しました。その後、母が住んでいた自治会関係者への挨拶、電報をいただいた人へのお礼の電話等を済ませて長い一日が終わりました。
市役所への死亡届の手続きは28日に葬儀社でしてもらっていたので、30日は市役所へ印鑑登録カードの返納、後期高齢者医療被保険者証の返納、国民年金手帳の返納、介護保険非保険者証の返納及び未支給年金請求などを行い市役所関係の手続きを済ませました
今回、母の突然死から市役所関係の手続きまでの4日間を振り返ってみると、娘の安否確認と室内カメラが十分に機能しなかったため発見が遅れた反省点はありますが、母は自分で遺影を準備し、事前に戒名も授かっていて、お寺関係のことは遺言していた内容に沿って実施することが出来ました。
後でわかったことですが、死亡した26日の夕方に妹が電話して安否を確認しており、その後に近所の人と交流したのが最後になったようです。その後の事は推定ですが、夕食を食べて、翌日の朝食の準備をし、入れ歯を外してベッドで寝ようとした時に心臓に異常が出て死に至ったものと思われます。
母は浄土真宗を若いうちから深く信仰していて、最期まで自分で出来ることは自分で行い、出来ない事だけを支援してもらう、自立した人生を目指して実行していました。現在の家に住むようになって15年の間に近所に友達もできて、自宅から葬儀社まで搬送するときはお見送りしていただきました。
母が102年と77日間を最後まで自分の意志で行動し、寝たきりになることもなこの世を去ることが出来たのは仏教に深く帰依した結果ではないかと思っています。
喪主の為、写真を写す機会は少なかったのですが、合間を見て撮った写真及び葬儀の後にいただいた追憶のDVDを自宅で再生して写真に撮ったものを紹介します。
葬祭場全景
入り口
通夜の控室に安置された遺体
葬祭場内部
葬儀前に記念撮影
葬儀前にDVD上映
出棺
あいら斎場に到着
休憩室
初七日会場に到着
自宅の祭壇
※写真をクリックすると拡大し2回クリックすると更に拡大します。左上の←をクリックすると戻ります。