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安部のミクスの三本の矢凄い日本を打ち落とす

2016-02-17 13:55:34 | 安部首相

今度のアベノミクスの三本の矢は強力だ、安部さんの思うとおりに日本を打ち落としている、何所の国の為に日本の経済をめちゃめちゃにしているのか、まさか日本を潰して米国の奴隷にするために日本を潰す積りだな。A級戦犯の爺さんが米国が助けたからそのお礼に祖国日本を潰そうとしているのだな。あんたそれでも日本人?国籍変えたらどうですか、日本人は日本の為に働くのが日本人と思うが日本を潰してまで米国の為に働く必要有るのですか、マイナス金利とかやって株価も一万五千円台になり一体だれが儲けているのか、まさか安部一族ではないでしょうな、しかしよく先を読んで新アベノミクスを打ちましたね、御自身でもこんなに強力な矢とは思わなかったのではないですか、どっかに居るかも知れない祖父さんが孫よ良くやったと褒め称えてくれています、良い祖父さんですな。うらやましいです。政治家だったら日本の為になる政治をやってくださいよ。


医師に延命治療しますかと言われる

2016-02-15 14:35:02 | 病気

土曜日朝から胸重苦しいので午後に病院に救急として病院に行った、診察の医師は二月九日の血液検査など見て慢性心不全、延命治療しますかと言われたので此方が驚いた心臓悪くなっているとは担当の医師から言われているが慢性心不全とは言われてなくそれよりも延命治療しますかと尋ねられと事にびっくりして直ぐに返事できなかった、近所の九十才以上お年寄りが何人か入院して延命治療しているのは知っていたが突然考えてもみなかった事言われて延命治療までは考えて居なかった、はっきり言って私の病気ではいつ体調悪くなり死ぬかもしれないと漠然として考えは有ったが何時も死んだらお終い少しでも長生きしないといけないと考えているので延命治療の言葉には何と答えてよいか解らずもう少しやりたい事が有るのですかと返事した。救急外来の医師は二十三日の担当医の診察を明日の十六日に変えてくれて担当医と治療方針をよく相談してしてくださいと言われた。私は入院して治療しなさいとの意味に取ったが担当医は空いているベットないからと言われている。今さっき私に万一の時はこの人達に知らせてくれとメモ書いたばかり、二軒の家に貼って置く積りで書いた。まだ延命治療するかどうかも決断できない。


失点ばかりの自民に民主勝てない

2016-02-11 13:46:27 | 日本の政党

自民の元大臣からひら議員まで週刊誌のネタになっているがそれでも民主の評判は良くならない、それを見越して自民は自由気ままに日本の政治をやっているが何ともできないで指加えているだけの民主になりさがっている、この際民主は野党一丸となって選挙すれば今の急激な円高株の今が自民を攻める最後のチャンスと思うが民主の上の議員達何を考えているのかなと思う、このままでは社会党の後を追っかけてそのうち同じ運命をたどるよ。次の夏の参議院選で落ちると解って居る民主から立候補したいと考える者がいなくなります、民主から立候補する人間は選挙に立候補してだけの人物しか集まらないと思う。現在の行動力の無い民主執行部を若手の議員達は取り換えて新しく党を造り直さないと消えて行くよ。


松山と石川遼との差は大きい米国では通用しないと解らないかな

2016-02-08 13:45:17 | ゴルフ

松山が米国で二勝した、石川遼は予選落ち、遼の方が米国での試合経験は長いが優勝は無い、通用するのは日本でのゴルフと解らないか、若くして日本のトップになりそれを武器に米国に渡り試合を続けているが優勝争いも米国でしたことない自分のゴルフの実力もう解った居る筈だがな、日本に帰るとマスコミが持ち上げてくれるから逆上せあがり米国で語ると錯覚して石川遼の恥を振りまいているのか、もう日本のゴルフフアン誰が見ても松山とは米国では大きな力の差が出来て居ると考えている、それなのに日本でなく米国に集中して恥さらしているのが解らないか。親達がはっきりと忠告してやれば目が覚めるかも知れない。米国では名前だけのゴルファーに落ちてしまっている。それよりも日本に帰り日本ではまだ通用するから日本で金稼ぐべきである。それが石川遼の為になる。


最近は健康のためか田圃の中の道を歩いて居る人多い

2016-02-07 13:48:08 | スポーツ

最近は健康の為に歩いて居る人達多い、それも九十近いお年寄りも何とか歩いて居る市腰曲り歩けないような人でも乳母車押して毎日寒い中を歩いて居る、それと犬の散歩がてら歩いて居る人を良く見かける、散歩している人は七十代の女性が一番多い感じ、皆さん運動として堂々と歩いて居るが今から二十五六年前は歩いて居る人は一人も居なかった、私は平成二年此方に帰ってきたが何もせず家に居ると身体なまると思い平成二年から歩き出したが当時は昭和の続きで皆さん田圃で一生懸命働いて下時代、私は皆さん働いている中を毎日往復五キロ歩いて居たが当時は遊んでいる大人は見かけなかったので昼間歩き辛くなり夜歩くようにした、それも時間段々ずらして平成三年には夜十二時が来ると家を出て五キロ五十分で毎日と歩いて居た、真夜中だしよくパトカーと同じ場所ですれ違っていたが毎日の事でパトカーとは一回も話しなかった、それが平成八年の冬歩いて居ると前に倒れた、身体が道路に着くまで道路見ていたがどうした事か手を出せずゆっくりと倒れるのが解ったが自分でもどうして倒れたか解らずそのままの姿勢で道路に二十分くらい倒れていた、その間中意識はあったが手も足も動かさなかった、そして大丈夫かなと思い起きてゆっくりと歩いて家に帰った。それから倒れた理由解らないので歩き止めた。それからは運動をゴルフにして毎日のようにゴルフ練習に通ったのが私のウオーキングの始まりである。現在は越足痛く征西杖突いて四五十しか毎日歩いて居ない。身体ボロボロになっている。