月刊オダサガ増刊号

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不可解な幼児 4 「広島と東京」

2014-02-28 16:12:36 | 不可解な幼児


幼稚園が夏休みになった頃、年長組だった俺はまた、なんの承諾もしていないのに、東京へ引っ越すことになった。

最後のピアノの練習のあと、俺は初めてピアノ教師と並んで外を歩いた。
 
「ねえ、あなた、東京でもピアノを続けるのなら先生を紹介するわよ」

 うーん、俺は答えに窮した。どうでもよかったからだ。続けてもやめても、どっちでもよかった。俺は適当に答えた。

「じゃあ、やらない」
「あ、そう、残念ね」

今思えば、この時に続けると言っておけば、俺は楽譜くらい読める大人になっていたかもしれない。運命は皮肉だ。

東京へは寝台車に乗っていった。腹立たしいことに、俺のベッドがなかった。ふざけた親だ。好きな方で一緒に寝てよいなどと平気で言う。俺はとりあえず幼児らしく母親と一緒に寝た。

さて、朝起きるとそこは東京だった。引っ越した先はまたもや社宅であったが、今度は4階建てで16世帯も入居している、当時としては最大級の社宅であった。

社宅は部屋は狭いが敷地が広く、物置きがあったり、大きな庭があったりした。鉄棒や砂場もあったので、遊び場には事欠かない。

社宅には俺以外にもたくさんの幼児がいた。人数が多すぎて何人いるのだか、わからなかった。まあ、当時は足し算すら知らなかったので、数えることもできなかったのであろう。

俺は自分と同い年の女、年下の男女とよく一緒に遊んだ。1歳上の男もふたりいたが、ヤツラはすでに小学生だったので、若干、テリトリーが違った。

ある日、俺より1歳下の女と、2歳ばかり下の女と3人で遊んでいた。誰が言い出したというわけでもなかったが、みせっこという遊びをした。同時に全員でちんこを出すという幼児らしいくだらない遊びであった。

ところが驚いたことにちんこを出したのは俺だけで、ヤツラふたりは出さなかった。汚いヤツラだ。どうやらちんこを尻の間にでも挟んでいるらしい。

夏休みが終わると、また俺は幼稚園なるところに通わされた。

この頃、やけに母親が太り始めて、食い過ぎかなんかと思っていたら、弟か妹ができるという。ついでに兄や姉もできてほしい。

それまで兄弟のいなかった俺の心は弾んだ。広島の安田幼稚園でよくツルンデいたやつらにはほとんど、兄弟姉妹がいた。そうでなくても劣等感の塊であったのに兄弟姉妹までいなかったのはやはり寂しかった。

そんな腹の出っ張った母親と毎朝、幼稚園まで歩いた。幼稚園は御嶽(おんたけ)神社の裏にあった。みたけ幼稚園という名前であった。今思えば、おそろしい名前の幼稚園に行かされたものだ。漢字の一部は獄ではないか。

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