地球浪漫紀行☆世界紀行スタッフの旅のお話し

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心惹かれるポーランドの旅

2014年02月07日 19時13分18秒 | ポーランド

昨年は、インドで新年を迎え、他にアジアではパキスタンやネパール、ヨーロッパのスイスやロフォーテン諸島、そして中米のパナマ、キューバ、グアテマラなどの添乗をさせていただき、スリランカで年を越しました。まだまだ修行中の身ですが、本年の目標である「公私共に誠実である」を胸に、“旅”という抽象的なものを、“思い出”という具体的な形に変え、ご参加いただいた皆様にお持ち帰りいただけるよう、日々精進して参りますので、本年もご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

ポーランドは、中央ヨーロッパに位置しており、リトアニア、ロシア(カリーニングラード)、ベラルーシ、チェコ、スロバキア、ドイツの7ヶ国、そしてバルト海と接する国です。日本の5分の4の面積を持つこの国の歴史は、その地政学的なことも影響し、大変波乱に満ちたものでした。今のポズナニ周辺にポーランドが建国されたのは、10世紀のことです。1386年から始まったヤギェウォ朝時代には、首都クラコフを中心に欧州の大国として繁栄し、16世紀にはバルト海から黒海までを治め、国土が最大となりました。しかし、次第に地方の貴族が力を持つようになり国力が低下。18世紀後半には、隣接していたロシア、プロイセン、オーストリアの三国に分割され、1795年にポーランドは一度消滅してしまいます。その後、第一次世界大戦が終了する1918年までの123年間ものあいだ、ナポレオンがワルシャワ公国を独立させた一時期を除き、ポーランドは世界地図から姿を消したという過去もあります。

「ポーランド」と聞くと、皆様は何を連想されますか。負の遺産アウシュビッツがテレビ番組で取り上げられることが多いため、ポーランドのツアーとなると、戦跡ばかり見に行くのではないかと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、一見地味なポーランドも、実は大変見どころが多い国なのです。弊社でも、ポーランドとバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)の4ヶ国を周るツアーを発表させていただいた年もありますが、文化と自然に恵まれたこのポーランドをより深くご覧いただくために、今回も1ヶ国のみでご案内させていただきます。

ポーランドは元社会主義国ということもあり、無機質な建物が多く、色で例えると灰色のような、旧ソ連のようなイメージを持たれている方もいらっしゃるかと思います。しかし、ポーランドで見る景色は、いろいろな意味で多くの人の心を捕えます。ポーランドは東欧スラブ人国家に分類されますが、建国以来キリスト教を国教とし、西欧カトリック文化圏に属してきました。プロテスタントのドイツ、東方正教のロシアに挟まれたポーランドにとって、カトリックは、自らの存在証明そのものでした。建築様式においても、ルネッサンスやバロックなど西欧カトリックスタイルのものが、現在に至るまで伝わっております。街を歩いていると、無機質な社会主義建築も残ってはいますが、それよりも芸術性に優れた建物が多く目に入ってきます。過去四十数年間、社会主義国になったという時代にも、西欧文化こそが自分たちの帰属する文化である、と考えている人が多かったのです。ポーランド人、ヨハネパウロ2世の教皇位への就任は、その象徴として国民を鼓舞しました。

このように西欧建築を西欧よりも西欧的に保ちながら大事にしてきたため、ポーランドの各街では、より西欧中世の雰囲気を感じることができます。そんなロマンティックな街に溶け込み、そぞろ歩きをするのもポーランドの旅の楽しみの一つです。ちょうど、カトリックの七五三「ホーリーコミュニオン(初聖体)」の時期ですので、正装してちょっと気取りながらも、おじいさんやおばあさんからプレゼントを貰って嬉しそうな子供たちにも出会えることでしょう。また、ポーランドは緑が多い国でもあります。首都ワルシャワは、面積の4分の1を緑地が占めています。かつては、ワルシャワの公園のスズメたちは人の手のひらに乗ることでも有名でした。ポーランドの意味は‘平らな土地’であるように、少し街を離れるとなだらかな丘陵や牧草地が広がっています。街から街へ移動するバスの車窓から見る景色は、どこかほっとさせてくれますし、これから向かう場所では何が起きるのかと、想像をかきたてられます。ワクワクせずにはいられません。

ポーランドは「ピアノの詩人」ショパンや天文学者のコペルニクス、ノーベル賞を2回受賞したキュリー夫人、長崎に布教した聖人コルベ神父、映画監督アンジェイ・ワイダなどの著名人の出身国でもありますので、彼らに縁の深い土地も訪れます。もちろん、現代史の舞台も訪れます。前述のアウシュビッツ強制収容所の他、第二次世界大戦勃発の地ともいわれるバルト海の岬・ヴェステルプラッテを訪れます。1939年に友好訪問として寄港したドイツ艦隊が、この地を急襲したことにより、第二次大戦は始まりました。今、岬の先端には不戦のモニュメントが建っています。
 



そして今回、最後に訪れるザリピエ村は、とてもかわいらしい花の装飾が施された家々で、最近日本でも知られるようになってきました。かつてこの村の民家には煙突がありませんでしたが、19世紀に入ると、各家に煙突ができるようになりました。これで冬を越すのも少し楽になると思った矢先、ある問題が起こりました。それは、煙突を作ったことにより、内壁が煤で汚れてしまうことです。そこで、女性たちは「汚れたところは可愛いものを描いて隠してしまいましょう」と壁に花の絵を描き始めました。これがザリピエ村のペイントハウスの始まりです。寒い冬も楽しく過ごす、という発想から生まれたこの装飾は、民家の外壁はもちろんのこと、教会や井戸、なんと消防署にまで見事なペイントが
施されております。また、年に一度ペイントコンテストも行われており、近年、少しずつ脚光を浴び始めています。ツアーでは、名産のサクランボの季節に訪れます。
 
このように多くの見どころがあるわけですが、ポーランドの旅での私の一番のお薦めは、やはり料理です。ポーランドは、ドイツ系、ウクライナ系、タタール系などポーランド人以外にも多くの民族が住む多民族国家であり、周辺国の様々な食文化も取り入れ、独自の
食文化を作り上げてきました。ポーランド風餃子の「ピエロギ」、お米を使ったロールキャベツ「ゴウォンプキ」、ポーランドの「おふくろの味」とされる煮込み料理「ビゴス」などレストランでも家庭料理が人気です。もちろんハンガリーのビーフシチュー「グヤーシュ」やロシアの串焼き「シャリウィク(シャシリク)」など隣国の影響を受けた料理も定着しています。その中でも、私が特にお薦めさせていただきたいものは「ジュレック」というキノコや野菜のスープです。軽い酸っぱさが食欲をそそります。元来、パンでできた器で、イースター(復活祭)の時に食べるものでしたが、今ではすっかりポーランド
の国民料理の定番です。ツアーではポーランドの「庶民の味」ミルクバーにもご案内いたします。

『ポーランド周遊と花模様が咲き誇るザリピエ村の旅』
6月13日(火)発 13日間 千歳発着¥487,000

(横倉)



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