
ギリシャとブルガリア国境に近いトルコの町・エディルネは、
トルコの中でもおそらくあまり知られていない町かもしれませんが、
アドリアノープルという旧名でしたら、
テレビや歴史書で目にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ローマ時代にハドリアヌス帝が街づくりを行い、
古くからアドリアノープル(ハドリアヌスの町)と呼ばれ繁栄を遂げた街は、
14世紀中ごろからビザンチン帝国を陥落させイスタンブールに遷都した1453年までの約100年間、
オスマントルコの首都として栄え、町には次々と壮大なモスクが建てられました。
その中でもエディルネのシンボルといえば、セリミエ・ジャミィ(写真上下)です。
イスタンブールのアヤ・ソフィアよりも大きなドームを造るため、
トルコの当時の著名な建築家シナンが呼ばれました。
当時、東方正教会の総本山であったハギア・ソフィア寺院(アヤ・ソフィア)を
超えるドームを造ることは、イスラム建築家たちの夢でありました。
工事に着手したシナンは長い年月をかけ、彼の最高傑作を建てたのです。
実際にセリミエ・ジャミのドームの大きさはアヤ・ソフィアのドームを
わずかに上回っており、彼は夢を成し遂げたこととなります。

北へおよそ20km行けばブルガリア、西はすぐギリシャであり、
トルコ本土とは2つの海峡を挟んで隔てられているエディルネは、
トルコの中で最もヨーロッパに近いのに、今はトルコの辺境の街です。
しかし、町中にはイスタンブールにも引けをとらない
素晴らしい文化財が数多く残されています。
(田中 貴子)

トルコの中でもおそらくあまり知られていない町かもしれませんが、
アドリアノープルという旧名でしたら、
テレビや歴史書で目にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ローマ時代にハドリアヌス帝が街づくりを行い、
古くからアドリアノープル(ハドリアヌスの町)と呼ばれ繁栄を遂げた街は、
14世紀中ごろからビザンチン帝国を陥落させイスタンブールに遷都した1453年までの約100年間、
オスマントルコの首都として栄え、町には次々と壮大なモスクが建てられました。
その中でもエディルネのシンボルといえば、セリミエ・ジャミィ(写真上下)です。
イスタンブールのアヤ・ソフィアよりも大きなドームを造るため、
トルコの当時の著名な建築家シナンが呼ばれました。
当時、東方正教会の総本山であったハギア・ソフィア寺院(アヤ・ソフィア)を
超えるドームを造ることは、イスラム建築家たちの夢でありました。
工事に着手したシナンは長い年月をかけ、彼の最高傑作を建てたのです。
実際にセリミエ・ジャミのドームの大きさはアヤ・ソフィアのドームを
わずかに上回っており、彼は夢を成し遂げたこととなります。

北へおよそ20km行けばブルガリア、西はすぐギリシャであり、
トルコ本土とは2つの海峡を挟んで隔てられているエディルネは、
トルコの中で最もヨーロッパに近いのに、今はトルコの辺境の街です。
しかし、町中にはイスタンブールにも引けをとらない
素晴らしい文化財が数多く残されています。
(田中 貴子)
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エディルネのモスク、壮大で素敵ですよね
是非、イスタンブールだけではなく、こちらまで足をのばしていただきたいです