『プロレスをスポーツとして世間に認知されるよう、全身全霊をかけて努力する。』
6月13日、試合中に亡くなったプロレスラー・三沢光晴氏が言いつづけてきた言葉です。
力道山や、アントニオ猪木、ジャイアント馬場の時代とは異なり、地上波放送をほとんど失ったプロレスは、団体分けが盛んに行われ、K-1や総合格闘技が一般的となり、またそれら以外にも多くの娯楽が存在する昨今では、あまり一般の人々の目の届かない場所に追いやられてしまったように思います。
プロレスとは何か? あまり知らない人が口を揃えて言うのが「八百長」だということです。プロレスラーになるということは、並み大抵のことではありません。ただ単に相手を倒す格闘技とは違い、相手の技をくらい、お客さんに対する表現力を磨き、そしてお互いが引き立つような器用さが求められます。いわばプロレスとは「作品」とも言える訳です。一言で八百長と言ってしまうのは簡単ですが、私からすれば「だから何?」と言いたくなります。勝つか負けるかだけではなく、負けてもそれぞれレスラーの人生が表現され、スポットライトが当たるのがプロレスの良さでもあります。プロレスファンの多くは、彼らの試合から勇気をもらい、何度でも立ち上がる姿に感動し、明日への活力にしているのではないでしょうか。
三沢氏はジャイアント馬場の愛弟子としても知られ、ジャイアント馬場からいかにお客さんを満足させるかということ、地方でも一切手を抜かず、どんな人でも満足させて家路につかせるということを教え込まれました。学生時代に器械体操とレスリングをしてきた同氏は、それをバックボーンとして、それまで一般的なプロレスを、より高度なプロレスへと引き揚げていきました。プロレスリング・ノアの代表取締役となる前、彼は全日本プロレスという団体に属し、その当時「四天王プロレス」と呼ばれる非常に高度で危険なプロレスを築き上げることで、日本中を熱狂させました。それはまさにプロレスの奥深さや、対戦者同士の信頼関係の大事さなどといったことを感じさせるスタイルで、人間はどこまで痛みを超越し、強くなれるのかといつも考えさせられました。
インターネットや新聞を読むと、彼が非常に多くの人からの信頼を集めていたかがわかります。私は、小学生からプロレスにハマり、今は以前ほどは見なくなりましたが、三沢氏の戦う姿勢にいつも励まされ、勇気をもらってきました。
プロレス好きな友人たちと、よく全日本の三沢と新日本の武藤が試合をするとどういう展開になるか、どういった間合いを彼らは取るのか、などといつも話題に上がってました。しかし、この「天才」と呼ばれた同世代同士のシングル対決は見ることなく、夢と消えました。
数年前に亡くなった橋本選手の時も非常に悲しく、信じられない思いでしたが、今回の三沢氏の悲報はそれ以上の悲しみが込み上げてきました。
これほど素晴らしいレスラーは日本でもほんの一握りしかおらず、後に残されたレスラー達は深い悲しみから脱するのに相当の時間がかかるのではないでしょうか。特に対戦相手であった齋藤選手は、相当の覚悟が必要だと思いますが、それを乗り越え、これからもプロレス道を邁進して頑張ってほしいです。
自分の人生に多くの影響を与えてくれた人の死というのは、なかなか悲しみが消えることはなく、大変辛いことですが、それでもそれを力に変えてそれぞれが頑張っていけたらいいですね。
三沢さん、お疲れ様でした。
川崎 大地
(旅行に関係なくて、すみません・・・。)
いつもご覧いただきまして、たいへんありがとうございます。
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6月13日、試合中に亡くなったプロレスラー・三沢光晴氏が言いつづけてきた言葉です。
力道山や、アントニオ猪木、ジャイアント馬場の時代とは異なり、地上波放送をほとんど失ったプロレスは、団体分けが盛んに行われ、K-1や総合格闘技が一般的となり、またそれら以外にも多くの娯楽が存在する昨今では、あまり一般の人々の目の届かない場所に追いやられてしまったように思います。
プロレスとは何か? あまり知らない人が口を揃えて言うのが「八百長」だということです。プロレスラーになるということは、並み大抵のことではありません。ただ単に相手を倒す格闘技とは違い、相手の技をくらい、お客さんに対する表現力を磨き、そしてお互いが引き立つような器用さが求められます。いわばプロレスとは「作品」とも言える訳です。一言で八百長と言ってしまうのは簡単ですが、私からすれば「だから何?」と言いたくなります。勝つか負けるかだけではなく、負けてもそれぞれレスラーの人生が表現され、スポットライトが当たるのがプロレスの良さでもあります。プロレスファンの多くは、彼らの試合から勇気をもらい、何度でも立ち上がる姿に感動し、明日への活力にしているのではないでしょうか。
三沢氏はジャイアント馬場の愛弟子としても知られ、ジャイアント馬場からいかにお客さんを満足させるかということ、地方でも一切手を抜かず、どんな人でも満足させて家路につかせるということを教え込まれました。学生時代に器械体操とレスリングをしてきた同氏は、それをバックボーンとして、それまで一般的なプロレスを、より高度なプロレスへと引き揚げていきました。プロレスリング・ノアの代表取締役となる前、彼は全日本プロレスという団体に属し、その当時「四天王プロレス」と呼ばれる非常に高度で危険なプロレスを築き上げることで、日本中を熱狂させました。それはまさにプロレスの奥深さや、対戦者同士の信頼関係の大事さなどといったことを感じさせるスタイルで、人間はどこまで痛みを超越し、強くなれるのかといつも考えさせられました。
インターネットや新聞を読むと、彼が非常に多くの人からの信頼を集めていたかがわかります。私は、小学生からプロレスにハマり、今は以前ほどは見なくなりましたが、三沢氏の戦う姿勢にいつも励まされ、勇気をもらってきました。
プロレス好きな友人たちと、よく全日本の三沢と新日本の武藤が試合をするとどういう展開になるか、どういった間合いを彼らは取るのか、などといつも話題に上がってました。しかし、この「天才」と呼ばれた同世代同士のシングル対決は見ることなく、夢と消えました。
数年前に亡くなった橋本選手の時も非常に悲しく、信じられない思いでしたが、今回の三沢氏の悲報はそれ以上の悲しみが込み上げてきました。
これほど素晴らしいレスラーは日本でもほんの一握りしかおらず、後に残されたレスラー達は深い悲しみから脱するのに相当の時間がかかるのではないでしょうか。特に対戦相手であった齋藤選手は、相当の覚悟が必要だと思いますが、それを乗り越え、これからもプロレス道を邁進して頑張ってほしいです。
自分の人生に多くの影響を与えてくれた人の死というのは、なかなか悲しみが消えることはなく、大変辛いことですが、それでもそれを力に変えてそれぞれが頑張っていけたらいいですね。
三沢さん、お疲れ様でした。
川崎 大地
(旅行に関係なくて、すみません・・・。)
いつもご覧いただきまして、たいへんありがとうございます。
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それに写真も珍しい。
三沢氏の悲報にはとてもショックを受けました。
タイガーマスクのマスクを取った時、
子供心にものすごいインパクトだったことを覚えています。
プロレスに疎い私でも、三沢さんにはなぜかずっと親近感を抱いていました。
とても悲しいですね。
早すぎる死が残念でなりません。。。
子供の頃はゴールデンタイムで放送されてましたが最近では見た事ありませんでした。
ご冥福をお祈り致します。
師匠からの地方のお客さんも満足させて家路につかせる!感動しました。
三沢氏と最後に戦った齋藤選手は、一時は引退も考えたようですが、ようやく吹っ切れて「社長の分まで思い十字架を背負って戦い続ける」とコメントをしました。
見せる職業、見られる職業というのは、どんな職種であれ本当に大変だなと思います。