みなさん、こんにちは。川崎です。
今日からしばらく、2002年11月に出かけた『イラク・メソポタミアの旅15日間』を
振り返ってみようと思います。
翌年からイラク戦争が始まり、2008年くらいには再訪できるかなと考えていましたが、
まだまだ何年もかかりそうです。
イラクにどんな遺跡や町があったのか、記録と記憶に残す意味で
何回か写真とともに書いてみようと思います。
入社した新人の年の秋、10月に3本のツアーの添乗に出たあと、
突然「おい川崎、イラクに行くぞ」と告げられました。
ペルーのツアーの帰国後、中4日で。
ツアー参加者が多くて、バス二台になり、照沼以外にもう1名の添乗員が必要となり、
女性陣が空いていたので照沼が説得したものの全員が拒否(当然ですよね)。
そこでお鉢が回ってきました。
人質事件の半年以上前で、まだ外務省の渡航情報なんてまだない頃で、
それでもアメリカがいつ戦争を始めるかとニュースで賑やかだったときですから、
何となく自然に男性の自分に決まってしまいました。
ビザを一日で強引にとり、エイズ検査を受け(当時、イラクに入国するのに
50歳未満の人は、HIV検査が陰性である英文の証明書が必要でした)、
遺跡での説明は全部、照沼がするからということで、何もわからずに出発。
初めてのアラブ諸国で、しかも初めてのイスラム圏でした。
日本に飛び始めたばかりのエミレーツ航空でまずはアンマンへ。
陸路でバグダッド入りする計画でしたが、幾分距離が長すぎて、
飛行機(日本の端末に表示されないフライト)の席が取れたということで、
アンマンで時間ができました。
そこで出発直前、アンマン周辺の観光を追加。
でもご参加の皆さんはシリア・ヨルダンの旅には、もうすでに行っている方ばかり。
そこで少し変わった観光地へ行くことになりました。
今日はそのご紹介です。
ヨルダン東砂漠にあるウマイヤ朝の離宮で世界遺産に指定されている「アムラ城」。
フレスコ画で飾られた謁見の間が見事です。
同じくヨルダン東砂漠の、アラビアのロレンスが司令部を置いた「アズラク城」。
黒火山岩でできています。
サロメと洗礼者ヨハネの首の舞台「マラケス砦(ムカーウィル)」。
ヘロデ大王が再建した城塞の跡です。
ヨルダン渓谷のザルカ・マインの滝。
温泉地です。
ホテルや食事も快適で気持ちの良い旅の始まりでした。
(川崎 大地)
*貯めた文を連載的にアップしますが、明日から西インド・グジャラートから
ラジャスタンへの旅の添乗へ行ってきます。
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