天の門ーThe gate of heavenー

ここでは鄭明析先生のメッセージを紹介しています。

自分が行なわなくて「私はどうしてこうなのだろう?

2015-10-20 08:32:08 | 明け方の箴言


自分が行なわなくて「私はどうしてこうなのだろう?どうして神様が私には祝福をくださらないのだろう?どうして私は駄目なのだろう?」と言う。
<基本の祝福>は自分が行なってこそくださる。

神様は人間を創造なさるとき、自分が行なって祝福を受けるように創造しておかれた。だから「脳、考え、体」を創造なさった。
早く「行なおうとする考え」を持って、「あなたの体」で行ないなさい。「脳、考え、体」を使いなさい。

分からないから表象者に学び、その人に従って行なうけれど、個性どおりに行ないなさい!

<行ないの始動>がかかって行なっていたけれど、直ちに「脳の始動、考えの始動」が止まってやらない人は、「弱いポンコツ車の人生」だ。
直しなさい!行なってこそ直る!100%行なえば100%直る。自分が「自分の弱いポンコツ車の人生」を直す「技術者」だ。

怠ける人は滅びる!

2015-10-20 08:28:44 | 明け方の箴言


怠ける人は滅びる!

怠ける人を見たら「美しい顔と体の形象」が変わっていた。なぜか。怠けて管理をしないからだ。
美人を見なさい。いつも管理するから美人だ。よい化粧品ばかり塗りたくり、体ばかり手入れをするからといって、「美しい顔と体」になっただろうか。
<霊的な管理>だ。<霊的な管理>をしてこそ、霊の世界で「美」を供給される。

肉的に霊的に自分を作ってこそ輝く!

<すべきこと>をしないで、鏡で自分の顔を見なさい。一目瞭然に醜い。本当に一度見なさい。

<すべきこと>をして自分の顔を見たら、胸を張れる。甲斐に満ちた顔だ。行なったことに対して胸を張れるし、甲斐に満ちた反応が顔に現れたのだ。

<すべきことをしないで生きる人>は自分の顔に墨を塗って出歩く人と同じで、出歩くたびに気になる。
水で洗い流すように、「行なうこと」で洗い流しなさい!

何としても行なうことだ!

2015-10-20 08:23:40 | 明け方の箴言


何としても行なうことだ!

<昨日できなかったこと、今日できなかったこと>は余った時間にやりなさい!

創造主神様は<行なうことで得る祝福>をくださる。その祝福は「自分が行なって、自分がもらうもの」だ。

<悪>を行なってももらうが、それは「罪の代価」だ。その罪の代価を「天」からももらうし、「世の中」からももらう。

怠けたら、自分の運命をこちらからあちらへと変えてしまう。




<行なわずにできること>はない。

2015-10-20 08:21:45 | 明け方の箴言


<行なわずにできること>はない。行なわなかったのにできることがあるとしたら、それは「神様の時になってできたこと」であり、「他の人が行なってできたこと」だ。だからそれは自分にとって有益が少ない。

<適時>にしてこそ「適時に得るべきもの」を得る。

行なわなければその時を食べずに過ごし、行なえばその時を食べて過ごす。一食、二食ぐらいは食べても食べなくてもあまり差がない。しかしずっと食べなければ問題が生じる。


<行なう人>が「人間として神」だ。

2015-10-20 08:20:17 | 明け方の箴言


<行なう人>が「人間として神」だ。

<行なう人>が、行なう分、生命力豊かに生きるようになる。

<最高の極で行なう人>と、<普通に行なう人>と、<最低に行なう人>と、<全く行なわない人>がいる。
信仰生活においてもそうだ。

普通に行なうのでは、やったり、やらなかったりする。

<大事なこと>は「極的」に行なわなければならない。