8/14、お盆に思う「西山の棚田」…

2023-08-14 11:10:05 | つれづれ思うまま
 
ニャンはにゃんなりに工夫して過ごすコもいれば、
熱い舗装道には出ないで待ってるコもいたり、
なんとか元気にやり過ごしています。

そして、一緒に住んでいないハハ(S5年生まれ)ですが、大してへこたれもせず元気です。
歩く姿を見ていると若干心もとない気もしますが、そこは「転ばぬ先の杖」を頼りに、
「天神さんへのお参り」を日課とし、おしゃれ心も忘れず出かけており、
安心と言えばまぁ安心(笑)。
そんなハハですが「食べ物」に対する執着は忘却の彼方には行かず、
季節それぞれに「あれを食べたい、これがほしい」と要望は絶えません。

今の時季なら「幸水梨より『豊水』が好き」だからもう少し待つわ、と。(個人の好みです)
お中元に『葡萄』を送りたい、ついでに私も食べたいから…
連れてって🚙と、声がかかります。
頂きものがあれば、お礼の電話だけではダメで、
必ず送り返す習慣のある年代の人ですので致し方ありません。
ワタシもお相伴に預かれるので連れていきますよ、もちろん。

そんなこんなで長田三軒家に夏季限定出店中の『宮崎農園ブドウ直売所』へ。
過去ログ/夏の買い出しツアー

久々のハハ連れドライブなので、
少しだけ遠回りをして「やぶっちゃ/野良じまんの草餅」買って、
そのまま「市道西山/島ヶ原線」を通って西山の棚田方面へ。
   
ハハに「ここは、昭和28年の8月14日の『二八災害』とよばれる
集中豪雨による『山津波』に襲われた棚田だよ」と伝えましたが…
「お父さん(土木技師だったワタシのチチのこと)は島ヶ原の方に行っていったので、
ここのことはわからない」と言う。
「えっ?同じ山つながりだよ、『高旗山』のあるこの山並みが崩れちゃってね…」

同じ時、同じような場所で起こった災害が繋がらないらしい。
思えば、何か事があるといつも一人で留守番していたハハなので、
「自分の家は、『私』が守る」ことで精一杯だったのかもしれないな、と
当時お腹にいたワタシは思いを馳せる。

西山二八災害のことは過去ログにて

※「西山棚田米」は、
≪西山地区は伊賀盆地の中でも標高が高く、昼夜の寒暖差が大きい高原性の気候に加え、
 高旗山から湧き出た清水と古琵琶湖層の肥沃な土壌のおかげで、
 おいしいお米が作られています≫(西山の棚田散策マップより)

帰り道「新居遊水地」を跨ぐ道路網を抜け、
 

反対側の「上野台地と奥の風車群」を見て

帰路に着きました。

8/11に行った「西蓮寺」の帰り道の写真ですが、
書くタイミングが丁度今日になってしまいました。
1953年、昭和28年8月14日未明の出来事を振り返る日となりました。

くしくも2023年、台風が伊賀をかすめるかもしれないとか、
「備えあれば憂いなし」を考える日になりそうです。

ではまた
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幾重にも重なる山並み、これぞ伊賀盆地。(西蓮寺から)

2023-08-12 13:18:38 | つれづれ思うまま
前日までの強風に湿気が飛ばされたか、と思うほどの快晴
若干のわた雲は、まさにザ・夏。
まぁ、クッキリすっきり見えた8/11の空と伊賀の東方面山並み。
  ここは「西蓮寺」

滅多に行かない「墓地道」を左へ行くと、なんとそこには「池」。
 
右端に見える堤は山へと続く道にも見えましたが、
実際には行ってないので「未確認情報」です、あしからず…

話は戻って、
ここ長田の西蓮寺を訪れるたび必ず見る「ザ・伊賀盆地」の風景で、
その背後の山が「第二次天正伊賀の乱/比自山の決戦」のあった場所。
≪天正の乱で伊賀衆が最も果敢に戦ったところ≫です。
 「ふるさと芭蕉の森公園」の『忍者の里看板』

帰宅して(昔、家人が買ったと思われる)「伊賀市史通史/古代・中世」など開けてみました。
全巻あるわけでなく、たまたま家にあるのが興味のある「中世だっただけ…
 

そういえば、子どものころ「お墓参り」といえば「山登り!」だった記憶が蘇ります。
今ほど暑くないとはいえ、水筒や鎌・蚊取り線香持参、
急峻な狭い山道やら石段を登っての「墓参り」。
怠け者のワタシは心の中で「墓参り=辛い行事」と思っていたような。

今になって思えば「つわものどもが 夢の跡」のようなその山道こそ、
「比自山城跡」への道だったかも!と思えるようになりました、
高齢になってからの勉強のおかげか(笑)。

幼いワタシを連れて行った両親は亀山から来た人なので、
きっとそんな(信長による)「伊賀のツライ黒歴史」は知る由もなかったと思われますが、
焦土と化しても、見事復活させるのが伊賀の底力!
といえばそれは「伊賀人の誇り」にもなるかと。(個人の見解です)



墓参り後、今度はハハの所用で長田三軒家へブドウのお買い物、
(杖をついて歩く超高齢のハハを墓参りには連れて行かなかった💦いたし方のない判断です)
そして帰り道「西山の棚田」へ。

ではまた
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西山の棚田にて、春の田園風景

2023-05-06 18:02:23 | 花や風景など
アスファルト道の上ばかりにいた3日間だったので、
五月の自然を感じたくなり、
一気に何もかもが目に入る風景を求めて「西山の棚田」へ。

  
落ち着きます、来てよかった…
適度に雲があって、水が張られ、田植えも順に進みつつ、
目にいいモノばかりを見ていました。

野に咲く花や春先に見た「ミツマタ」にも葉が出て来たし、
青モミジも色彩々。
   

  

心落ち着く素敵な時間でした…

帰り道は西山から島ヶ原へ抜け

途中、緑のシャワーを浴び、


いつかここで気動車が来るのを待って、撮りたい…

フェスタ3日目の様子はまた改めて書くとして、
本日は、珠玉のほんのひとときを棚田で過ごす。
明日からまた同窓会に向けて最後のひと踏ん張り…

ではまた。
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「高倉神社」de ユキワリイチゲ(雪割一華)に会う。

2023-03-25 10:25:37 | 花や風景など
「西山の棚田」から戻る時、広い道(伊賀コリドール/県道138号線)に出る手前で左折すると、
「高倉神社」(西高倉)の鳥居まではほんの少し。
ここは「倉庫の神」がいらっしゃるとのことですが、今回は…
ご神体である山に沿う「崖面に可愛い白い花がたくさん咲いているよ」。
「検索したら〇〇〇〇と出て来たよ」と知人に教えられ、写真も送られてきた。
この花の名前を聞いた時、どこかで聞いたことのある名前だなぁ・・・と。

ふっと思い出したのが滋賀県甲賀市の「龍樹神社(タギジンジャ)」。
 (2020/9/7撮影)
ここでは、この花の自生地があるものの「絶滅危惧増大種」かもしれないと言われており、
とても大切に守られているようでしたが…

ワタシ自身、名前は知っていても「まだ見ぬ花」なのです。
絶滅危惧増大種と書かれていても、花の時期に行ったことがないので、
まだ確認できていない、ともかく見てみたい一心でした。
(ここで書いてもいいのかどうかの悩みはあるけれど)
ふつうにそこここで咲いている花であればそれはそれで嬉しいし、
やっぱり珍しいものであれば大切に見守りたいし…
「日本固有種 本州の滋賀県から九州にかけて分布」とも書かれているし…

「手水舎」のあるところから奥を見ると、
山裾の崖面に淡い色の小さな花が一面に見えました。
 
予習していった「ユキワリイチゲ」の花と確かに一緒です。
薄紫の透明感のある花弁!ではなく、実はこれ「ガク(萼)」なんですね。
茎が一本スッと伸び、その先に楚々とした花を一輪つけてます。

ユキワリイチゲ(雪割一華)キンポウゲ科イチリンソウ属
牧野日本植物図鑑(学生版)には、≪関西の≫と書かれているので、
やはり珍しいと言えばそうなのかもしれません。

別の説明では、
花びらみたいなところは萼片で、12〜22個ぐらい。
 開花は3月上旬〜4月上旬頃です。
(淡紫色の花びらみたいに見えるのは、本当は萼です)
 このユキワリイチゲは、お日様が大好きで、曇りや雨では開花しません。≫とのことでした。

もう少しアップで
 
透明感を出せるかと近づいたら「虫さん春」でしたわ
※参考:「多根ユキワリイチゲを守る会」HPより≪2023年の開花情報≫

念願の「ユキワリイチゲ」が見られたので、神様にお礼参り。
ここも国指定重要文化財の「本殿(社殿)」(3棟)があります。
  

傍には「献木 (ナギ)の木」。
 
真ん中辺りの葉が黄金に輝いているように見えたのです
のこと(熊野大社HPより)
ここでふと思い出しました、高倉神社と熊野に縁のある「梛の木」の関係
高倉神社】(祭神:高倉下タカクラジ)
ここで「神話」より「高倉下」ってどんな人?
 ※高倉下:神武天皇東征中の最大の危機を救った熊野の土豪
 『古事記』『日本書紀』に登場する。
 それによれば、神武天皇は、紀伊に迂回して大和を目指すが、
 途中、熊野の村で大きな熊の毒気によって兵士たちともども気絶してしまう。
 このとき高倉下が天皇に大刀を献上し、目を覚ました天皇はその大刀で荒ぶる神の邪気を払った。
 高倉下がいうには,「夢に、武甕雷神(タケミカヅキノカミ)が天照大神の命を受けて、
 下界の平定を手助けするために大刀を下すというお告げがあり、
 翌朝、を見ると夢の通りに大刀があった」という。
 高倉下というのはこれによるが、クラジは倉主の意ともいわれる。
 その大刀は石上神宮(イソノカミジンジャ天理市)に収められた。≫(コトバンク:朝日日本歴史人物事典より)

「ユキワリイチゲ」や「梛の木」を見ることができて、
一人 しております。

余談、
この週末、とってもお天気が気になります。
3月最後の島ヶ原ウォーキングイベントがどうなるのか??
ではまた
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「西山の棚田散策マップ」ができ、棚田ではミツマタポンポン。

2023-03-24 00:34:54 | 花や風景など
以前から「棚田付近の散策マップ」ができると聞いており、
「マップお披露目会」が3/22にある!ということまでは知っていて、
 (2023/2/2中日記事より)
その「マップ」はぜひ欲しいなと、
「射手神社しだれ桜観桜」から「西山公民館」へ向かうことに。

高旗山も登ってますしね、
昨年の「秋のいがぶら」でお邪魔してますしね、
そしてここは「二十八災害大津波(浪)」に襲われたところ。
その津波(浪)に襲われた棚田を7年もの歳月をかけて復興させ、
以降現在までずっと守られ続けています。
先人たちのご苦労のお陰で2022年には国の「つなぐ棚田遺産に指定されました。
ここまで復興した証の場所、
多くの方に四季折々移り行く姿を見てもらいたいなぁと
陰ながら思っています。
そんなワタシもまだまだ知らないことは多いので、
このマップでゆっくり散策できる日がくればいいと思っています。

車は「芭蕉さんの句碑」のある新居小学校分校跡の運動場に止めて
13時30分から「西山公民館」で開催されているマップお披露目会が終わるのを待つ間、
ちょっと気になった石碑や石仏さんを撮ってました。
   

肝心の「西山の棚田」、
昨年秋に行った時に確か「ミツマタ」を植えてあった記憶が蘇り、
そうそうどこまで花が咲いているのか気になりましたので…
 

  
西山の棚田には(昔)美人多し、とな。
陽の光にポンポンと輝くミツマタ 咲いてましたね(笑)。
山津浪に襲われた谷に見事な復活の証しの棚田とミツマタを見て、
今年も精出してここに通って来ようと誓った次第。

ボチボチ「お披露目会」も終わり、
厚かましくも「マップをいただきに~」とご挨拶。
 手作り感満載のmap

 
伊賀盆地を望む絶景の里/西山の棚田散策マップ」です。

*三重県中山間ふるさと水と土保全基金を活用(2023年3月発行)
*お問い合わせは「新居地区市民センター」tel.0595-21-3340まで

心あったまるマップです。
では、ここからの帰りに「高倉神社」で気になる花…

2023/3/24 11:50 追記

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射手神社のしだれ桜。

2023-03-23 15:34:15 | 花や風景など
WBCも終わって、余韻冷めぬうちに観桜へ…


ここは伊賀市長田の『射手神社』(イデジンジャ)。
境内のしだれ桜に呼ばれた気がしたので(咲き出したという情報の元)…
両部鳥居辺りのソメイヨシノはまだまだこれからですが、
ここで少々伊賀のお宝だよ!というお話。
鳥居横にある十三重塔は、
北塔が伊賀市文化財、南塔が国の重要文化財という立派なものです。

ここでどっちがどっち?という自分のために~~

射手神社から見ると遠く真正面に(東方面)「伊賀上野城」が見えます。
なので、鳥居や本殿を見て右側が「北塔」、左側が「南塔」になります。
 鳥居裏から撮ってます、あしからず
↑ 写真で見ると右側の塔が「鎌倉時代末期」の作と言われています。

 
(塔の撮影は2022/6/4、詳細説明は「広報いが」のリンクでどうぞ

では「しだれ桜」~~
  
どうしても飛行機が気になる…
青空のお陰の雲ですから💦
本殿前まで行き、
 
よく見れば今年の干支の「卯」さん、行かれた折にぜひご覧あれ。
まだ蕾も多いのですが、陽気が良ければ一気に咲きます。


気になるお話として、ここは
*木曾義仲を討つため、(加太峠辺りから)宇治へ向かっていた源義経の一行が、
 戦いに勝つようにとお祈りをし、かぶら矢を奉納したと言われています。
さらに、
*西行法師(1118-1190)が源平合戦の頃、伊勢に逃れ、度々ここにお参りにこられており、
「あづさ弓 ひきし袂も ちからなく
 射手の社に 墨の衣手」と和歌を詠んでいます。


後年、「天正9年伊賀の乱」の戦災により焼失しましたが、
仏性寺(ブッショウジ)跡(現在の社地)に移った頃の慶長10年(1605)の棟札が残っています。

歴史ある神社で幾年も咲き続ける「しだれ桜」です。
では、次は「西山の棚田」&「高倉神社」へ参ります、そこで見た「花」は…
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いがぶら2022秋『西山の棚田』周辺名所めぐり&『拓本』に挑戦!後編②

2022-12-06 12:38:49 | いがぶら2022秋deいが巡り
いよいよ「拓本に挑戦」です。
教えてくださるのは松本さん、数多くの石碑などの拓本を手掛けていらっしゃいます。
大ベテランですが、素朴にやさしく教えてくださいました。
移動したところは、背後に「高旗山」を控え、当然「お斎峠」も近い。
   
ということは、滋賀県へ抜けるにはその裏山を上れば最短ルートではないかと…
ただし「杖がないと登れませんよ」とも。
「でもね、この道は芭蕉さんもきっと歩いているはずですよ」、
確かに、この道標を見てそう思いました。

訪問地⑥【信楽からの古道にある古民家de拓本体験

見本の拓本のために道標の上部の仏様に準備されていた和紙、
風で飛ばされぬよう、霧吹きで水をかけやすいよう、軽く固定されてます。
水をかけたら、「ぽんぽん」軽く叩いて墨を馴染ませます。
そんな各工程をじっくりと見せていただきました。
  
小学生のお子さんも参加していて、いい助手してくれてました。
こういう企画に親子で参加!っていいな、と。

ではいよいよ「my 拓本に挑戦!」。
古民家(案内人さんの私邸)に移りますが、拓本道具が用意され、
(拓本する)対象物の瓦や銅板なども用意され、なんでも挑戦しちゃおうって感じです。
拓本専用の紙=画仙紙、及び和紙なら大丈夫、半紙もOK。
対象物に紙を置き、霧吹きでやさしく中央から水をかける。
張り付いたらタオルなどで何度も抑え水分を取る。
(☝ワタシは、この工程を疎かにしたので、ちょっと残念な結果に…)
どの工程もやさしく・ゆっくり・丁寧に、が大切かと…
  
この「瓦」は、春日神社の屋根の葺き替え時の一部だそうです。
作業中は一生懸命だったので、写真は撮りませんでしたが、
唯一、コレ↓ 若干失敗気味です、難しいです


見本のように上手にできた方の作品
 さすがです。

にかわ入りの墨でポンポンポン・・・
大小のまぁるいポンポンを使って細かい特徴的なところを入念に整えていきます。
あとは、ゆっくり紙を剥がして乾かすのみ!

そこで休憩タイム=ティータイムになります、そして「二胡の演奏」(奏者は案内人のYさん)。
 
「二胡」の響きって哀愁があって、素敵です。初めて生で聞きました。
みんなと歌える楽曲も用意されて楽しく口ずさんだり、
演者さんの話術に惹きこまれたり、楽しいティータイムでした。

拓本実習を終え、余談に「神武天皇の東征」のお話が出て、
その時は何気に聞いていたのですが、今思えば「三本足の八咫烏(ヤタガラス)」のお話か?
そういえば「日本サッカー協会のシンボルマークは『八咫烏」ですね、
あくまでも「にわか」なので、試合結果を聞いてからじっくり見るタイプですが
今回のお話と少しだけ縁を感じたので、八咫烏と共に応援したいと思いましたが ⚽ 。

因みに、近くでは宇陀市に「八咫烏神社」ありますので、
よろしければどうぞ。

最後に話が逸れちゃってごめんなさい、ですが、
ともかく「西山界隈のエエとこ探し」、「拓本挑戦」はいい経験になりました。
歴史を垣間見、落ち着いて取り組むことも学びました、
今後にいろいろ役立つことばかり、案内人のみなさまに感謝。

今度の「冬のいがぶら」…また報告できたらいいなぁ。
ではまた
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いがぶら2022秋『西山の棚田』周辺名所めぐり&『拓本』に挑戦!後編①

2022-12-04 18:14:53 | いがぶら2022秋deいが巡り
「古琵琶湖層湖底」を垣間見て、再び公民館前に戻りました、
  さぁ、棚田へ

訪問地④西山棚田展望公園】(国指定棚田地域=棚田100選)
四季折々何度も訪れ、季節ごとの美しさはいうまでもない、
この日は、ちょうど地区のみなさんの「作業日」(=「出会い」というか?)らしく、
あちこちで伸びすぎた樹木、枯れ木、枯草、落ち葉などの伐採・集塵作業などされていました。
たまたま展望公園にお邪魔した時間と休憩時間が一緒になったので、
いつも綺麗にしていただいてるお礼と、季節ごとの飾り物などがあって嬉しいです、
と気持ちを伝えたら、「そうか、いつも来てくれてるんや、ありがとうな」とのこと。
作業日に来るのもいいもんだ(笑)、迷惑なことさえしなければ…ね。

資料では、『農家の担い手の減少や高齢化が進んだため、
つなぐ棚田遺産として認定された』(2022年2月)とのこと。また
『標高160m~310mの傾斜地に約500枚余の水田が26haに渡って広がる。
 この地は昭和28年、人家も田畑も土砂災害※に遭い、
  (映像資料CATVより)

  (棚田の北面と南面:撮影日2022/12/2)
 そこから復旧した棚田を守り続けている』。
『四季を通じて変化し、いつの季節も美しく、
 自然に溶け込んだ人の営みは、お米以外にも多くの恵みを作り出す』、
『昼夜の寒暖差激しく、山から流れ来る水、そして濃霧、
 美味しい米づくりの条件が揃っています』とのこと。
いがぶらの参加者に「西山棚田米」をお土産にと…

  
西山棚田北面と南面(以下撮影日:11/27)

  
展望公園の中から、時節柄「Xmasツリー」が待っててくれますよ…
そして、「ミツマタ」植樹、春が楽しみなことです。
リンク写真は「田植えの頃(2020/6/2)
そう、その四季折々の景色が大好きなんです  
何といっても一番のおススメは「刈り取り前の金色の稲穂」の時!だそうで、
過去写真から探してきました、あまり上手には撮れていませんが…
金色の稲穂なら夕方がいいかもしれませんねぇ
 (撮影日:2021/8/31)
刈り取りは、お盆過ぎから始まり8月末には終わるそう、ぜひ来年見てくださいね(笑)。
 (撮影日:2020/9/30)

二八災害」のこと(北出楯夫氏著/伊賀の郷土史より)

ここから西側に🚙で少し移動します。では、

道から見て、鳥居の傍のイチョウの木、葉っぱは半分以下しか残っていない、が
階段を上って
  
ふかふかのイチョウの葉、これはもう黄色い高級絨毯
しばし、葉っぱと戯れ、カメラに収める…

訪問地⑤【(西山)春日神社
 
社の横に池があり、ここでは紅葉 を愛で、「千年杉」を見上げ、
境内には珍しい「割拝殿」様式の「参籠社が手前にあります。
 
本来中央は土間で、その中を通って直接本殿にお参りしていたそうですが、
現在は祀りごとなどできるようお部屋のように改装されたそうです。
例えば↓「花垣神社割拝殿」は、こんな感じです。


お参りが終わったところで正午…
社務所で昼食【忍者ちらし(by末廣寿司)】となります。
昼食の前に神主さんから説明があり、
三重県の指定文化財でもある珍しい【木造獅子・狛犬(モクゾウシシコマイヌ)】を特別に見せていただきました。
普段は厳重管理されているようです、「いがぶら」ならではかもしれません。
地元の方に案内して頂いているおかげです。


 
獅子と狛犬が一対というのは大変珍しいですよね、
普通に見かけるのは獅子一対とか狛犬一対ですから。
よく見ると制作年当時に付けられた色合いでしょうか、
薄っすらと緑だったり青だったりが残っているように見えます。
 冊子「伊賀市の文化財」より
≪春日神社本殿の木階下の浜縁の左右に、安置されていた一対の獅子狛犬像です。
 獅子像は像高50.1cm、狛犬像は像高51.5cm、どちらも檜の一木造、
 閉口部中央から鋸(ノコ)を入れ、頭と胴部を切断し、
 雇柄 (ヤトイホゾ)で接ぎ、内刳(ウチグリ)はありません。
 構造や作風が共通する一対の獅子狛犬像は、制作年代は平安後期 (12世紀半ば) に遡ると考えられ、
 和様の獅子・狛犬の稀少な作例として貴重です。≫

さぁて、お楽しみおたのしみ…
他所から来られた方は面白いねぇ、美味しいねぇと賑やかなお食事タイムでした(笑)。
念のために、順に食べるまでの行程をご覧くださいな…
包み紙の裏が「秘伝之書」となっております、では
  

  
はい、ごちそうさまでした。

では次回、いよいよ「拓本(初)体験」、ポンポンポン
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いがぶら2022秋『西山の棚田』周辺名所めぐり&『拓本』に挑戦!高旗山編

2022-12-03 22:18:16 | いがぶら2022秋deいが巡り
西山地区を訪れる前に「新居遊水地」を縦横に通る道から北側を見ると
滋賀県に通ずる山々が見えます。
「お斎峠」や「ゴルフ場」へ行く🚙でしょうか、通る車は多いです。
過去幾度も通っているにも関わらず、立ち止まることはなかったので、
本日(12/3)はじっくり山並みを見るために停まりました。
 
ちょっとわけあって、のことです(笑)。

↓ 少し記憶を遡って、2022/6/12にグループで登った時の写真

↓ 知人が11月に撮ったこの写真
 
どちらも「高旗山(別称:旗振り山)の白旗」です。

先般の「いがぶら」西山巡りでは、山並みの下を歩きながらも
中心の「高旗山」をじっくり撮る暇がなくて、出直したわけです。
自分の記憶のために「バチっと」撮っておきたくなりました(笑)。

半円形モニュメントの後ろに「高倉神社社叢の山」。
その後方の山並み左側の少し凹んだ部分に「お斎峠」、
家康さんが通ったかもしれない峠であそこを越えると滋賀県に入ります。
その右側少し平らかに見えるのが「高旗山」、
あの山を後方に抜けたらそこは「信楽温泉」の裏手(テニスコート辺り)に下ります。

ここまでは前置き…

高旗山(タカハタヤマ)】は、「ほらそこ!に見えます」って言われても…
悩んでました、西山の裾野から見れど、立ってるはずの「白い旗」。
地域住民の方々が年に2回ほど整備をしてくれているそうですが、
目視するのは至難の業!(白い雲が出てきたらアウト✕です)
見えそうで見えない「白旗」に、当日は降参

出直した今日の写真ですが…
 
高旗山の白旗」は、こんな感じで見えました💦
陽の光に輝いて、キラキラと光って見える…
これはね、もう実際に見てもらうしかないなと、
望遠レンズがない方、肉眼がイチバン!かもしれません

白い旗が「見える、見えない」の話を書きたいのではなく、
「本題」は、この「高旗山」は『旗振り山』と呼ばれ、
江戸時代から大正前期にかけて大阪堂島の米相場を、
見通しの良い山から山へと旗振り信号で伝達していたといいます。
旗の大きさはおおよそ畳一畳くらい、とのこと。
空気の澄んでいた時代のこと、堂島から和歌山まで3分、
京都まで4分、大津で5分、桑名まで10分、岡山は15分などと記録があるようです。
現代のような通信手段のない時代に確実に相場を伝えていたようで、なんか頼もしい話だなと。
伊賀へは、「堂島」→「生駒山」→「国見岳」→「高旗山」の順に届いていたのでは?と。
時には、旗振り人が酔っ払って反対の信号を送り、大損をした時もあるとかないとか。
※参考に当日配布の資料写真を添えておきます。
   


余談になりますが我が伊賀の歴史研究家の北出楯夫氏が「高旗山スケートリンクを書かれています。
さて、どこにあったのか?
いがぶらで案内していただいたSさんにお聞きしました、
ありましたよ、確かに…
その場所は??

大変興味深い話ですので、ぜひ

↓ スケートリンクは、ここら辺にあったそうです、


この場所の前には弘法の井戸があるんですよ…
なんだか不思議なご縁があるんですねぇ。

ではまた
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いがぶら2022秋『西山の棚田』周辺名所めぐり&『拓本』に挑戦!前編

2022-11-30 23:36:45 | いがぶら2022秋deいが巡り
晩秋の棚田風景、古琵琶湖層に400万年前を見る。
お腹がすけば「忍者ちらし」、そして初体験の「拓本」。
おまけに「二胡の演奏」まである
なんと盛りだくさんのメニューであることか!
そんなこととは露知らず、気軽に参加させていただきましたが、
終わるころには心は充実、目に焼き付けた風景、ポンポンポンと拓本に夢中になってる自分。
微妙なポンポン加減が難しかったので、再挑戦もあるかもしれぬ…
そんな様子を見てやってくださいな。
🚙での往路、集合場所近くで出会いました、
 皇帝ダリアです

*実施日時(参加日)は、2022/11/27(日)/10時~15時30分
*集合場所は、西山公民館前広場(西山棚田の近く)
*内容
 ≪「国指定棚田地域」に指定された「西山の棚田」周辺にある神社や
 古琵琶湖層が露出した崖などの名所、棚田が見渡せる展望公園などを散策し、
 西山を彩る豊かな自然の中で昼食休憩します。
 その後は古民家へ移動し、古瓦や小物などで拓本体験!
 オリジナルの道具を使って和紙にポンポンとしていきます。
 そして二胡の生演奏とお菓子でティータイム、盛り沢山なプログラム≫
*案内人:松本さん、清水さん、山田さん


①集合場所の「西山公民館前広場」、実は「旧新居小学校分教場」跡地、
約60年前までここに通っていたという子どもたち、
今は70歳も疾うに過ぎたでしょうか…低学年の間は分教場で学び、
中学年以降になると本校(新居小学校)へ、当時は多分徒歩だったと思われます。

左側に「芭蕉」さんの句碑
蛇くふと きけば恐し 雉の声 ばせを
があります。
 
建立は、1967年10月12日とのこと。
右側は「新居小学校分教場跡地」の碑。
スタートの時点で歴史がいっぱい詰まっているのです。

訪問地②【果号寺&シブナシガヤ(国指定天然記念物)】(Wikipediaより)
  
1932(S7)年7月25日に国の天然記念物に指定され、みえの樹木百選にもなっています。
≪シブナシガヤ(渋無榧)はカヤの変種で、種子の胚乳についている渋皮が全く存在しない、
 もしくはあっても取れやすいといった特徴がある。≫
当日の説明では、国指定の天然記念物のシブナシガヤは全国で3本であった。 
1本は、「高倉神社のシブナシガヤ」(東高倉)。
岐阜県養老郡上石津町(現大垣市)に生育していた「多良のシブナシガヤ」は、
枯死したため指定解除されているので、現在は日本で2本!しかない、とのことでした。

 『本尊阿弥陀如来坐像』
この仏様(鎌倉初期と推定される)には、胎内仏がおられるそう。
修理の際に大きさこそ異なれ「ウリ二つ」生き写しの仏さまであったとか。

本堂の格天井には「植物の絵」がいっぱい、
住職の奥様が「シブナシガヤの実」を煎ってくださりお土産に頂く。
とても元気なカシの木で江戸時代から植わっているが、
今なお「実」をたくさんつけているそうです。
そして、境内には「蓮鉢」がたくさん、花のない時期メダカが泳ぐ。
  
 
訪問地③【古琵琶湖層湖底体積層露出崖
伊賀盆地をはじめ滋賀県から三重県の県境約50㎞にわたり、
「古琵琶湖層群」と呼ばれる地層が深さ1500mで続いています。
この地層は今から約400万年前にこの地域にあったのです。
琵琶湖の祖先と言うか、琵琶湖の原型となる湖、すなわち
約400万年前に我が住む伊賀市あたりに小さな湖=大山田湖があった。
それが地殻変動によりどんどん現在の琵琶湖に移動していった、ということですね。
その地層がココ「西山地区」で剥き出しに残っているわけです、
これ「伊賀焼」の土の元!です。
では、その地層を見に行きましょう~
  

大山田平田で出土した「イガタニシ」も見せていただきました。
同じ地層がつながっているんですね…


黒く見える部分がいわゆる「古琵琶湖湖底層」で、いまだに湿潤しています。
この粘土質の土のおかげの苦労話を聞かせていただきました、
土に対する苦労もあり、伊賀の気候風土もあり、そのおかげで
「美味しいお米」が作られている!
当たり前のように「旨い米」を毎日食べられること、ほんまに感謝です。
そしてこの粘土は「伊賀焼」の元!にもなっているわけです。
 
 
壮大な「古琵琶湖湖底」がクッキリ見えます、
教えてもらわなければ行けない…400万年前をここに見た!

つづく
コメント (4)
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