「元伊勢」つながりで『都美恵(つみえ)神社』へ

2021-01-19 11:13:14 | 神社仏閣など
やっぱりね(予感がした…)、クセになりそうな「元伊勢」巡り。
あそこもここも、行けたらいいなぁ、、、と。(コロナ退散願うばかりなり)

下記パンフレットにも書いてありますが、
東大和西三重』って一体どこやねん??

東大和・西三重情報サイト】より
≪奈良県・三重県の2県6市町村を合わせた「東大和・西三重エリア」。
自然がいっぱい、美味しいものいっぱいの魅力あふれるエリアです。≫(事務局は(一社)名張市観光協会)
要するに、宇陀市・曽爾村・御杖村・名張市・伊賀市・津市。
 こういう地域が連盟として参加している訳ですね…
より詳しくは⇒「エリアガイド」を。

さて、そこで
【元伊勢】とは、(東大和西三重観光連盟パンフレットより)
≪「元伊勢」伝承の地とは、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、
天照大神(アマテラスオオミカミ)のご神体である八咫鏡(やたのかがみ:三種の神器の一つ)を
お祀りしたであろう場所のこと
で、主に近畿・東海地方に点在します。

東大和西三重エリアに位置する「元伊勢」には、倭姫命の伝承とともに、
これにちなんだ数々の地名(御杖、鞍取峠、姫石など)が残され、興味をひきます。

倭姫命とは、古墳時代以前の皇族で、第11 代垂仁(すいにん)天皇の第4皇女。
伝説の初代斎王、豊鍬入姫甜(トヨスキイリヒメノミコト)の跡を継ぎ、
天照大神の御杖代(神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として、
大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、
天照大神の意を伺い、皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされています。

古の斎王である倭姫命が巡幸したと伝わる「元伊勢」は、
いまもなおその面影を偲んでいます。≫

ってなわけで、ひょんなご縁から「神戸神社」をお参りさせていただき、
では次にどこへ行こうか?と……
やはり地元を知らずして他所へ行くわけにも行きませんので…

「元伊勢」的に言いますと神戸神社は「穴穂宮」(あなほのみや)と呼ばれ、
都美恵神社は、【敢都美恵宮】(あえとみえのみや)と呼ばれるようです。
≪長い石段を登ったところに構える拝殿が美しい神社。
柘植川上流沿岸の地に「敢都美恵宮」として2年間鎮座し、
奉斎されたという史実があり、神宮と縁の深い場所≫と書かれておりました、では
(実は初訪問ではないのです、ずっと前に伺った時は何も考えず、
ぼうーっと見ていただけなので

1/15(金)午後2時着、
柘植地区市民センターに駐車させていただき(一声かけて)、お隣りへ向かいます。
神社横の道路際には、
 昔の「大和街道絵図」

    参道から
石造鳥居は「伊賀市建造物文化財指定」だそうです。

すぐに、神宮遥拝所(多分、向こうの霊山辺りを向いていると思われる)
  
やはり「倭姫命」が来られたんですね…

境内を奥に進むと
  
手水舎も今流(コロナ対策用)、由緒書き、
歴史はもちろん古く、大洪水もあって、ここに移されたとか、
やはり「神宮縁(ゆかり)の地」であると…

では、石段を(なかなか急です)
  
拝ませていただこうと思ったら、「コロナクラブ」って…

   狛犬さんとさざれ石
(「さざれ石」って君が代に出て来るあれ?)
拝殿向かって右奥へ行くと
 本殿

拝殿から左側へも進めます、その先には
 何と読むのかしばし考え
あぁ「やすくに」ね、戦没者の御霊を~~という社でした。

参考:『観光三重HPより「都美恵神社

さぁ、ここで「完」。

のつもりでしたが、この奥にまだ隠れたる「社」がありそうなのです…
まどろっこしいことを書かないで、ハッキリと書けば、
*都美恵神社の裏手に「天満宮」(=google mapには「秋葉社」)がある。
この神社を出て、柘植川の向こうにいくと
*「史蹟・雨龍神社跡」がある。
そして、神社のお隣は柘植小学校、裏山続きで
*「徳永寺※」へと繋がっていることが判明!
「本能寺の変」のあと、堺にいた家康が伊賀越えで三河に帰るとき、
このお寺で休息し供応を受けたという伝説の場所…

あぁ、血が騒ぐ  

余談、「麒麟」最終回で本能寺の変がありますが、どんな終わり方になるのか、気になるところ。
ドラマに関わらず、ここは押さえておきたい場所でもあります。

その前に、「元伊勢」続きの「雨龍神社跡」へ
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