美旗で「新田水路」探検。その3

2024-07-20 00:51:05 | つれづれ思うまま
「美旗古墳群ハイキングマップ」の上部を見て、
今から「新田水路」と並行する「旧初瀬街道」を走ります。
実際に通る道はカラー舗装されているのでわかりやすい。


ここで、簡単に『新田水路』って…いろんな資料を読ませてもらって、
ザっと箇条書きで
*承応3年(1654)藤堂藩の政策として加判奉行であった加納藤左ヱ門直盛は同役の三浦少之介と共に、
 原野の開拓を立案し、藩主の藤堂高次の許可を得て、伊賀地方最大規模の開拓に着手。
*西島八兵衛の指導の元、大池を二つ造り村づくりが始まる。
*明暦4年(1658)頃、大阪の豪商:安井九兵衛が出資する。
*度重なる豪雨で被害甚大となる。延宝元年(1673)加判奉行直盛病死。
*直盛の嗣子直堅(ナオカタ)が加判奉行となり父の跡を継ぎ、池の修復ではなく、
*延宝3年(1675)、第二次計画として新しく「水路」の工事を始めた。
*青山の尼ヶ岳に発する前深瀬川等の水を引くため、約14kmの「水路」の築造。

 
※写真㊟美旗市民センター「歴史資料館」のジオラマより

*約2年を費やし、延宝5年(1678)頃完成したとのこと。
ざっとこんな歴史を持つ一大工事の末の「新田水路」です。

その水路のほんの一部でもいい、見てみたいと…
行程を現実の7/14に戻しまして、旧初瀬街道の途中で
『新田用水の日時計』なるものがありまして、新田水路の歴史の生き証人のようなものかと。
  
「水路」から引かれる水は農家にとっては大切なもので、
新田用水路から各農家の水田に水を入れる時間を決めるのに、
この「日時計」が使われていたそうです。

『歴史ある水路を未来へ』というお話の再掲です。


旧初瀬街道には
  
左)「提側庵ギャラリー」、中)登録文化財で茅葺の「住川家住宅、右)住川さんちのツバメの出入り口。
なんて優しい心遣いなんだろうってほこほこしてました
実際にツバメちゃんが入る様子を見たので余計です(笑)。撮れてませんが💦

さぁ、いよいよ交差点付近、
   

上の水路のある反対側の提に行くと、こちらも
「水路」があり当然水は流れています、そして「桜並木」、春の楽しみですね…
 
そして「旧初瀬街道の常夜燈」。
   

もう少し進むと
情報You記事にもあった猫型?「円形分水筒(工)」。
上から見ないとわかりませ~ん、実際目の前ではこんな感じです。
   
中を覗くとなるほどねこんな感じで水が流れている、これはぜひ実際に見ていただきたい。
「青蓮寺ダム」からの水と「前深瀬川」の水の供給を調節しているそうです。
1977年に設置されたそう。
 

もう一度「水路」や「桜並木」を
 

青山方面へ
 

もう一つ、名張で唯一湧水がこんこんと溢れるところ…
「竜王水」。湧水は1時間に3.4tってすごい量です。
もちろんとても気持ちよく、長くは浸けてられないほど冷たかったです。
  

ここから近くにある『滝川氏城跡』。


最後に、前方後円墳型の「美旗市民センター」に寄らせていただき、
資料館を見学、日曜日にもかかわらず見せていただけてとっても勉強になりました。
 

実は、加判奉行加納直盛さんのお墓参りもしてきました、次回そのことをもう一回だけ書こうかな…と。
ではまた

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