【 林修の今でしょう】、「神君伊賀越え」いかに?(13:45修正あり)

2023-04-06 10:59:38 | つれづれ思うまま
【お知らせ】
『本日2023年4月6日(木)📺テレビ朝日 午後7時より
【 林修の今でしょう】があります。

【伊賀越え】は、
後半8時30分以後、「徳永寺」が少々紹介されます。』

との連絡いただきました。(徳永寺のおかみさん、実は同級生で…)
朝からLINEもらいましたので みてくださいね。

至急おしらせまで

2023/4/6 13:45修正
『まことに、申し訳ありません。

📺テレビ朝日の件
構成上の都合により、伊賀越えのところは、全面却下となりました🙇

ルートと忍者論争で、まとめられないようです。』

あしからず・・・

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3 コメント

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moni5187様、 (kuro&hana)
2023-04-12 00:00:53
ぜひ、宝物が見つかったら教えてくださいね、
楽しみにしています。
和尚さんによろしくお伝えくださいね。

ここんところ気忙しく歴史の勉強もままなりません💦
忙しいくせに「花」だけは追っかけしてます(笑)。

いつもご訪問ありがとうございます。
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番組は見ておらずですが、 (moni5187)
2023-04-11 23:07:20
徳永寺のICT公式サイトによりますと「神君伊賀越え」との関わりについては、昭和時代からNHKテレビで紹介されているとのこと。小川から柘植までのルートは諸説あるようで。天正10年6月3日は、西暦のグレゴリオ歴に換算すると1582年7月2日らしく。現在なら夏至の後の梅雨の真っ只中で、地形的にも気象的にも通説とされる桜峠ルートが有力のように思います。御斎峠から西山までの旧県道は20%以上の下り勾配で、雨の中では滑るくらいの斜度だったようですし。

またして(^^;)も昭和の思い出話になります。昭和40年代半ば、亡くなった曽祖母は小川の出で幕末に生まれて明治の初めに籍を入れたと、祖母らが話していました。朝宮の親戚が国鉄バスで信楽駅まで行って貴生川経由で来たと言っていて、京都の親戚も来てくれました。昭和の末になって父親が言うには、先祖は地の者ではなく信楽でお茶(たぶん宇治茶)の栽培に失敗して、伊賀上野(駅)界隈に出てきた(御斎峠経由かも)とのこと。その時、なぜに信楽や京都に親戚が、の謎が解けました。

「伊賀越え」の宇治田原>朝宮>小川>多羅尾>御斎峠>西山>伊賀上野>佐那具>柘植ルートが真説ならば、今度、お寺(徳永寺と同じ浄土宗)に行ったら古文書が残っていないか、おっさん(伊賀弁)に聞いてみようかと思います(^^;)。
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伊賀人としては、 (kuro&hana)
2023-04-07 14:40:29
完全消化不良な「「伊賀越え」話でした…

テレ朝さんの下請けさんが来られ、「甲賀忍者研究会」の方もご一緒だった、
「なんで『甲賀忍者』?」。
この場面、「甲賀ルート」ありきで進んでいたのかもしれませんが、一視聴者の伊賀人としては「家康公は徳永寺」へ寄ってますよね。ここがポイントなはず。

どのルートにせよ、6月2日に「堺」を出て、3日には「多羅尾」泊、4日には「柘植」を通って、「加太越え」て、「鈴鹿白子」へ行ったわけです。
恐ろしく大変な逃避行だったことには違いない、「伊賀・甲賀の国境」の山々を走り抜けた。
そのメンバーには、伊賀の関係者として服部(正成)半蔵もいて、「徳永寺」で休憩して…という話にはならず、「調査中!」で場面が終わった『神君伊賀越え」でした。

これが今回のテレビの調査番組としての落としどころだったのか、な(笑)。(個人的見解ですのであしからず)
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