「目指せ高旗山」の白旗、その道すがらいろんな伝説に会う…

2022-07-03 23:52:53 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
6/12に頂上の様子だけお伝えして、何やら(勝手に)気ぜわしい時を過ごし…
「御斎峠」から「高旗山」(タカハタヤマ)界隈でいろいろ見て回ったことを思い出し…
資料を基に、記録しておかないと忘れてしまいそう、という不安を拭うための報告です。
集合場所の高倉神社へ行く前に、服部川が木津川に合流する辺りで

「目指せ高旗山!」と景色を撮りました、さてどれが「高旗山」やろ??
   ・・・・・・・・・・
「高倉神社」に集合して、「御斎峠越え」の道に入ります。

誓子の句碑から百メートル位手前に「御斎峠の碑
 
『高旗林道開通記念 竣工 昭和四十八年三月三日 施工者 上野市長 奥瀬平七郎』

御斎峠
 ≪御斎峠の名前の由来は、「三国地志」によると、
 鎌倉・南北朝時代の禅僧、※夢窓疎石(夢窓国師)(むそうそせきorむそうこくし)が伊賀三田の空鉢山寺に来られたときに、村人がここで斎(とき=食事の接待)をあげたことに由来するとのことだそうです。≫

夢窓国師むそう そせき)臨済禅の高僧、建治元年(1275年)、伊勢国(三重県)で誕生。宇多天皇9世孫と伝えられ、また、母方は平氏である。禅僧としての業績の他、禅庭・枯山水の完成者として世界史上最高の作庭家の一人であり、天龍寺庭園と西芳寺庭園が「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。」
別の由来として
 ≪峠名の由来は、京都東福寺の開祖、聖一国師弁円が三田の安国寺(現在廃寺)へ来る際に西山の長老が国境へ出迎え食膳を供えたという伝説に由来しているとの説があるが、安国寺は弁円の孫弟子息庵知止を京より招き開祖とした寺で、貞和二年(1346)の創建。弁円は1280年に没しているので、聖一国師と安国寺の伝説は史実に矛盾している。≫とある。


三重県側、県境手前数10mのところに
山口誓子の句碑
 
「切り通し 多羅尾寒風 押し通る 誓子」があります。

 ≪誓子は京都の人ですが芭蕉を崇拝しその誕生地である伊賀をたびたび訪れ句ものこしています。「伊賀の雪みて 花妻見に来たり」 「伊賀上野 蘇枋の花を 以て古ぶ」や三重県立上野高校の校歌も作詞されています。
また上野天神宮の芭蕉初句集「貝おほい」奉納の碑に「山口誓子謹書」とあります。≫

(句碑を過ぎ)
弘法の井戸】(滋賀県甲賀市)
    
 ≪水の不自由な土地に弘法大師 (空海) が泉を生じさせたという伝説が、全国にありますが、滋賀県信楽町と三重県伊賀市の県境に近い多羅尾のタラオカントリーの入り口にも、そのひとつがあります。
伊賀市から御斉峠をのぼった道ばたにあります。言い伝えでは
弘法大師が峠のあたりに真言密教の聖地(後の高野山)を求め村を歩いておられたとき、とてものどがかわいたのですが日でりで水がありませんでした。
そこで弘法大師は、御斉峠にさしかかる道ばたに、大きな岩をひっくりかえして穴をほると穴からこんこんと水がわき出てきました。
弘法大師は、だれでもいつでも飲みたい時に水が飲めるように、石をきずいて井戸を作り、それ以後水が枯れることはなく村人から「弘法さんの井戸」と呼ばれて、峠を通る人たちののどをうるおし続けていたそうです。≫
    ・・・・・・・・・
(弘法の井戸からタラオカントリー方面へ曲がります、
「高旗山」への登山道は2か所、二手に分かれて上ります。(今回ワタシはこちらから)
信楽温泉のテニスコート側から、「400mの道のりを20分」ということですが
 

  

高旗山」頂上から
   
頂上の「白旗」、説明は次回…(下りは15分、です)
 
(タラオカントリー入り口辺りの登山口から、頂上手前の激坂!)
ご褒美の景色、登る価値あり
  

つづく
コメント
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