このブログのプロフィールの画像にて頭をくくっている手ぬぐいです。
踊りを習っていたのは小学校に上がる前の何カ月かだけでしたが、
よくぞ何十年も持ち続けていたなと愛おしくなります。
その頃のお師匠さんと母の会話も少し覚えています。
この娘に三味線もやらせたい
そんなことを母が言ってました。
だけど三味線は習いませんでした。
私は少し難聴気味でした。まったく普通に会話は出来ますが、電子音が聞えません。
昔々は電子音がするものって一般家庭にはありませんでしたから
自分の耳の聞こえが悪いってこと気が付きませんでした。
どちらにしても貧乏な母娘2人暮らしでは母の思いが空周りしても仕方なかったのです。
女も手に職をもたないといけない耳にたこができるくらい聞かされて育ちました。
踊りや三味線を習わしてどんな職業につかせようと考えたのか分かりませんが
中学生の頃は美容師になるよう口煩く言われていました。
これは妹も言われていたようです。
私も妹も他人様の髪を触るのは好きじゃなかったのですね。
高校生の頃は洋裁で身を立てなさいと勧められ、夜は近くの洋裁教室に3年通いました。
だけど結婚したらプッツリ。全く罰当たりな娘ではありましたね。
妹も然り、親の言うことなんか何一つ聞いてあげないで本当に親不孝者でした。
私と、母が再婚した後生まれた妹とは仲良しなので、今でも電話で母の事を話したりします。
おかぁちゃん可愛そうやったなぁ、私らか何も叶えてあげんで・・妹が嘆きますが。
それが年月を重ねたってことでしょうか。
これからも大切にします。
さらに、大切になさってください。
私も何かないか探してみよ~っと!