老中の市井日記

理想を失うことなく老いの中を楽しみながら、日々発見、日々刺激、日々出会いを大切にしていきたいと思っています

大阪府立大学

2007-05-09 21:57:02 | 学生時代
昨日、経営アドバイザー先の中小企業を訪問した後、
母校の「大阪府立大学」へ30数年ぶりに行きました。

「卒業証明書」の必要が出て、急遽母校を訪問となりました。
インターネットの母校のHPからでも「卒業証明書」は
取り寄せられるのですが、挨拶しておきたい人がいましたもので。

本当に久しぶりの南海高野線です。南海電車は相変わらず乗車口が
「1枚扉」でした。事務局に近い「白鷺」駅に降り立ちますと、
少しゴチャゴチャした駅前になっていました。

正門に近づいていきますと、かっては「田んぼの中の大学」も
周りはマンションが立ち並び、様相は一変していました。

学内も、大きな運動場の向うの馬場の周りの何にも無かった緑地が
新しい学部学科の研究棟に変わっていました。

発行締め切りの16時前に教務課に入り、すんなりと証明書を発行して
いただきました。無料なんですね。

4月の異動でこちらに来られた理事に挨拶と場所をお尋ねしても、
学内電話帳はまだ更新されていなかったので、あっちこっちに電話をして
いただいて、やっと場所が分かりました。大きい組織になったのですね。

40年ほど前は、工学部と農学部と経済学部だけの大学で、英語名では
「University」ですが、「College」のような感じでしたのに。

2005年から大阪の3つの公立大学(大阪府立大学、大阪女子大学、
大阪府立看護大学)を統合して、公立大学法人となり、学長が理事長を
兼任して5人の理事と法人運営しています。

5人の理事は、大学の研究関係、事務関係、民間からの公募、行政関係
からバランスよく構成されています。

まだ旧大学で入学した学生がおりますので、現在は学部学科は新旧
入り乱れています。2年後には統合と法人化の成果が出るものと
期待しています。

挨拶をした理事さんとお話をしていますと、今までのキャリアを活かされて、
素晴らしい大学になるものと思っています。

キャンパスを歩いて工学部の旧電子工学科のあったところへ行きますと、
ふつふつと卒業研究していた学生時代が甦ってきました。

旧電子工学第6講座(応用電子)は無くなり、それがあった所の教授に
挨拶をしましたが、異邦人と思われたかも知れません。

校舎より低い木で殺風景であったキャンパスは緑の木々で覆われ、
女子職員より少ない女子学生は一杯溢れて、「University」に
なりました。もちろん詰襟の学生服はありません。

母校は、友達からは「田舎大学」と呼ばれていましたが、落ち着いていて
実学的な大学で好きでした。

帰りは近い方の駅「中百舌鳥」へ歩きましたが、クネクネと曲がった
「西高野街道」は変わりませんが、綺麗に舗装され新しい家に変わって
いました。もっと変わったのは、マージャン屋が一軒もありませんでした。

大学広報誌「OPU」創刊2号のテーマ「紡」の編集後記にありますが、
最後にものをいうのは人とのかかわりであり、その出発点の出会いを
大切にして、一本一本の繊維がより集まって美しい糸が出来るように、
人と人とが関わり合って大きな絆となっていく「紡」を大切にしたいと
思いながら帰宅しました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。