先日の話「第3セクター出向1年目」の続きです。
それは、社外出向して1年経った19年前の夏でした。
昼の少し前に、目の前の電話が鳴りました。「○○(本名)ちゃん、
今日お昼どう?」その声は某電力会社のO秘書役でした。
2つ返事でOKを出しますと、「今、名神(高速道路)を走っている
ので、あと20分ぐらいで着きます」
その時間に地下に下りて行きますと、黒塗りの社用車、随行の方も
居られました。
京都東山の北白川の静かな料理屋に着きました。随行の方を
「T副長です。これから何かあったら彼に相談ください」
と紹介されました。
食事をしながらの話の内容は、嬉しくて食事を忘れる位のものでした。
「○○ちゃんが今やっている学研都市(関西文化学術研究都市)の
プライベートな高度情報化勉強会を委員会にして欲しい。
費用を出すから」
小躍りしたいのを抑えて、「分かりました。ぜひやらせて下さい」
その場で即答。でも本当は委員会のやり方を知りません。
下期予算ということで、10月スタートを目指して慌しい日々が
始まりました。「関西文化学術研究都市高度情報化対応研究会」
(通称情報委員会)の調査費は某活性化センターからの調査受託という
形でで600万円でした。
まず委員会の座長をどうする? コンサルはどこにする?といった
私にとっての難問が立ちはだかってきました。そこでT副長に相談です。
ご紹介を頂いたのが、座長に大阪大学工学部電気工学科の鈴木胖教授
(現、兵庫県立大学副学長)、そしてコンサルは地域計画研究所でした。
鈴木先生にお伺いするにも伝がありません。困っていますと、O秘書役
が「○○ちゃん、鈴木先生に電話を入れておきました」
早速、大阪吹田の大阪大学の鈴木先生の研究室へお伺いしますと、
ニコニコしながら「承知しています」と暖かい返事。これで一つが
解決した。
次にコンサルの地域計画研究所へ乗り込んで、業務委託の話をして
以前お話をしたN平さん(現、所長)が担当に決まりました。
いよいよ、委員の選定です。これは厄介でした。このつづきは次回に。
それは、社外出向して1年経った19年前の夏でした。
昼の少し前に、目の前の電話が鳴りました。「○○(本名)ちゃん、
今日お昼どう?」その声は某電力会社のO秘書役でした。
2つ返事でOKを出しますと、「今、名神(高速道路)を走っている
ので、あと20分ぐらいで着きます」
その時間に地下に下りて行きますと、黒塗りの社用車、随行の方も
居られました。
京都東山の北白川の静かな料理屋に着きました。随行の方を
「T副長です。これから何かあったら彼に相談ください」
と紹介されました。
食事をしながらの話の内容は、嬉しくて食事を忘れる位のものでした。
「○○ちゃんが今やっている学研都市(関西文化学術研究都市)の
プライベートな高度情報化勉強会を委員会にして欲しい。
費用を出すから」
小躍りしたいのを抑えて、「分かりました。ぜひやらせて下さい」
その場で即答。でも本当は委員会のやり方を知りません。
下期予算ということで、10月スタートを目指して慌しい日々が
始まりました。「関西文化学術研究都市高度情報化対応研究会」
(通称情報委員会)の調査費は某活性化センターからの調査受託という
形でで600万円でした。
まず委員会の座長をどうする? コンサルはどこにする?といった
私にとっての難問が立ちはだかってきました。そこでT副長に相談です。
ご紹介を頂いたのが、座長に大阪大学工学部電気工学科の鈴木胖教授
(現、兵庫県立大学副学長)、そしてコンサルは地域計画研究所でした。
鈴木先生にお伺いするにも伝がありません。困っていますと、O秘書役
が「○○ちゃん、鈴木先生に電話を入れておきました」
早速、大阪吹田の大阪大学の鈴木先生の研究室へお伺いしますと、
ニコニコしながら「承知しています」と暖かい返事。これで一つが
解決した。
次にコンサルの地域計画研究所へ乗り込んで、業務委託の話をして
以前お話をしたN平さん(現、所長)が担当に決まりました。
いよいよ、委員の選定です。これは厄介でした。このつづきは次回に。