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745) 私的岩手通史の旅 第26回

2010年06月29日 | 私的岩手通史の旅
 サッカーW杯の決勝トーナメントの日本対パラグアイ戦をテレビで応援される方も多いと思いますが、今朝の新聞のテレビ欄に載っていたサッカー中継のサブタイトルには「元気・勇気・感動をありがとう。最後まで熱い気持ちを送ろう」とありました。まるでパラグアイ戦が日本にとって最終戦のような書き方と感じたのは私だけでしょうか?


第26回 東北38年戦争 13 (奥州市前沢区 胆沢遠望)

 私的岩手通史の旅、舞台は再び岩手県に戻ります。
 伊治公呰麻呂の乱の翌年となる781(宝亀12)年、桓武天皇が即位しました。後年長岡京への遷都(784年)、更に平安京遷都(794年)を行うなど、教科書にも載っている天皇です。

 一方でエミシ征討にも力を入れ、即位して5年後の786(延暦5)年、胆沢遠征の準備が始まりました。準備の拠点となったのは以前ご覧いただいた多賀城で、多くの兵糧と5万2千人の兵が集められました。

 このエミシ征討の大将軍に任命されたのが紀古佐美(きのこさみ)で、桓武天皇から「坂東の安危はこの一戦にあり」と檄を送られて多賀城に着任し、更に軍を率いてエミシ軍の拠点となっていた胆沢平野を見下ろす衣川(奥州市衣川区)に陣を張りました。

 「岩手の歴史(山川出版社)」によると、陣を張ったのは「胆沢川扇状地の最南端、東西方向に馬の背状に延びる高位段丘の一首坂面にあたり、陣地からは北側に広がる胆沢平野が一望できるところ」とあります。当たりをつけて周囲を彷徨しましたが中々一望できる場所が見当たりませんでした。ようやく木々の隙間からチラリと胆沢平野が望める場所を見つけ、こんな風に見ていたのかな?と勝手に想像してみました。

(木々の隙間から胆沢平野を遠望 -奥州市前沢区六本松 2010/05/29-)

 想像はしてみたものの、望遠鏡もない時代にここから胆沢に陣を張るエミシ軍の動向を子細に掴むことが果たしてできたのでしょうか?

今回、遠望した場所はこの辺りです



1年前の一品・・・お休みでした
2年前の一品・・・「297)岩手散歩 大槌町(駒形神社)

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