新コロ感染拡大がなければ、昨日は「令和1周年」が大々的に取り上げられていたことでしょうが、ご存じの状況なので、そのことに触れたニュースは見聞きしませんでした。さる方がブログで「1年後にこのような世になっていようとは・・」と記していましたが、おっしゃる通り予想しない出来事は必ず起こるものです。この先1年は・・・何事も今より良くなっていることを期待しますが、待っているだけではいけません。できる事をやっていくようにします。

TOKYO2020ウォーク、本日は四ッ谷駅から歩いて着いた「日本橋」です。架橋は江戸時代となった1603(慶長8年)と伝えられています。現在の橋は1911(明治44)年に架けられたもので、石造道路橋です。

(日本橋 -中央区日本橋 2020/02/29-)
これ以上は説明板の域を越えないので触れませんが、単なる橋ではありますが、街灯の装飾が凝っていること、かつて橋を渡っていた都電の架線柱が日本道路元標だった(現在は橋の脇に移設)こと、橋の上を首都高が横切っているが、街灯に配慮し上下線の間に少し隙間があることなどなど、数度目の渡橋で初めて知りました。
下記画像左は装飾のついた街灯と、それに配慮して上下線が分かれた首都高です。日本橋のセンターには現在の道路元標が埋め込まれています。画像右は戦術の都電架線柱です。今も様々な街灯のデザインがありますが、ここまで凝ったものもあるのでしょうか?

(同上 -同上-)
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TOKYO2020ウォーク、本日は四ッ谷駅から歩いて着いた「日本橋」です。架橋は江戸時代となった1603(慶長8年)と伝えられています。現在の橋は1911(明治44)年に架けられたもので、石造道路橋です。

(日本橋 -中央区日本橋 2020/02/29-)
これ以上は説明板の域を越えないので触れませんが、単なる橋ではありますが、街灯の装飾が凝っていること、かつて橋を渡っていた都電の架線柱が日本道路元標だった(現在は橋の脇に移設)こと、橋の上を首都高が横切っているが、街灯に配慮し上下線の間に少し隙間があることなどなど、数度目の渡橋で初めて知りました。
下記画像左は装飾のついた街灯と、それに配慮して上下線が分かれた首都高です。日本橋のセンターには現在の道路元標が埋め込まれています。画像右は戦術の都電架線柱です。今も様々な街灯のデザインがありますが、ここまで凝ったものもあるのでしょうか?

(同上 -同上-)

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