先日の前菜で花粉症の話を綴りましたが、知人のひとりは今も花粉症に悩まされています。症状が和らぐまでもうしばらくかかるそうで、「1年の半年以上を花粉症に悩むなんて・・」と嘆いていました。私なんてまだマシな方なのですね。
第17回 東北38年戦争4(奥州市 胆沢の地)
朝廷が多賀城を拠点として宮城県北部以北への支配政策が強めるにつれ、エミシとの間の緊張が高まっていきました。朝廷は更に、北上川沿いと内陸沿いのエミシを支配する拠点とするため、桃生城(ものうじょう)、伊治城(これはるじょう)を多賀城より北部に築きました。結果、エミシの抵抗は一層激しくなり、774(宝亀5)年、北上川沿いのエミシが桃生城に侵攻したことにより、両者の関係は最悪となりました。「東北38年戦争」の始まりです。
この頃のエミシの拠点となっていたのが、県中南部の胆沢(いさわ=今の奥州市一帯でしょうか)です。朝廷にとって胆沢はエミシ征討のためには平定せねばならない土地であり、「続日本紀(平安時代に編さんされた勅撰史書)」には「776(宝亀7)年、陸奥軍3千人を発して、胆沢の賊を討つ」という記述があります。

(真冬の胆沢地方 -奥州市前沢区岩の沢 2010/02/13-)
写真は前沢区のやや高台から胆沢地方を遠望したものです。先述の「続日本紀」では「水陸万頃にして蝦虜(かりょ)生を存す。」(豊かな水と平野に恵まれてエミシが農耕にいそしんでいる)と記されています。訪れた2月は寒々とした風景でしたが、春から秋にかけては広々とした田畑の風景となるのでしょう。ただ今年は中々気温が上がらず、作柄が今から気になるところです。
(カメラを構えたのはこの辺です)
1年前の一品・・・「510)道南半日9 北海道新幹線」
2年前の一品・・・「271)盛岡散歩 金殖神社」
その他の品々・・・コチラでございます。
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第17回 東北38年戦争4(奥州市 胆沢の地)
朝廷が多賀城を拠点として宮城県北部以北への支配政策が強めるにつれ、エミシとの間の緊張が高まっていきました。朝廷は更に、北上川沿いと内陸沿いのエミシを支配する拠点とするため、桃生城(ものうじょう)、伊治城(これはるじょう)を多賀城より北部に築きました。結果、エミシの抵抗は一層激しくなり、774(宝亀5)年、北上川沿いのエミシが桃生城に侵攻したことにより、両者の関係は最悪となりました。「東北38年戦争」の始まりです。
この頃のエミシの拠点となっていたのが、県中南部の胆沢(いさわ=今の奥州市一帯でしょうか)です。朝廷にとって胆沢はエミシ征討のためには平定せねばならない土地であり、「続日本紀(平安時代に編さんされた勅撰史書)」には「776(宝亀7)年、陸奥軍3千人を発して、胆沢の賊を討つ」という記述があります。

(真冬の胆沢地方 -奥州市前沢区岩の沢 2010/02/13-)
写真は前沢区のやや高台から胆沢地方を遠望したものです。先述の「続日本紀」では「水陸万頃にして蝦虜(かりょ)生を存す。」(豊かな水と平野に恵まれてエミシが農耕にいそしんでいる)と記されています。訪れた2月は寒々とした風景でしたが、春から秋にかけては広々とした田畑の風景となるのでしょう。ただ今年は中々気温が上がらず、作柄が今から気になるところです。
(カメラを構えたのはこの辺です)
1年前の一品・・・「510)道南半日9 北海道新幹線」
2年前の一品・・・「271)盛岡散歩 金殖神社」
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