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724) 私的岩手通史の旅 第16回

2010年05月25日 | 私的岩手通史の旅
 5月も残り1週間、ふと気づけばすっかり花粉症の症状から開放されていました。マスクも伊達メガネも空気清浄機も今年のお勤めは終了です。終わってみれば、久々に症状が軽かった気がします。来年もこうだといいのですが・・・


第16回 東北38年戦争3(宮城県多賀城市 多賀城跡)

 「私的岩手通史の旅」、今回は岩手県から隣県宮城県へ足を伸ばします。

 645(大化元)年の「大化の改新」以降、朝廷から国司が現在の宮城県に派遣されました。国司とは地方官のことで、この付近一帯を治める役目があったのでしょうが、宮城県北部より北はエミシの居住地として認識されていたようで、朝廷の支配域とは一線を画していました。

 そのような状況が続いていましたが、約80年後の724(神亀元)年、現在の宮城県多賀城市に「多賀城」が築かれました。多賀城は仙台平野を一望できる丘陵の上に築かれ、約900メートル四方を囲んだ垣の中央に政庁(行政立法司法の中枢機能)が設けられていました。

 「城」と聞くと石垣や天守閣を備えた姿を想像してしまいますが、ここでいう城とは「城柵」のことで、軍事施設というよりも地方行政の拠点という性格が強かったそうです。とはいえ一応「城」なので日本の名城100選に選ばれ、国の特別史跡にもなっています。


(多賀城政庁跡 -宮城県多賀城市 2008/12/06-)

 多賀城跡を訪れたのは冬の短い日ざしが傾き始めた頃のこと。最寄りのJR国府多賀城駅から徒歩10分程の場所にありました。寒風を受けながら政庁への石段をあがると政庁跡が現われ、振り返ると仙台平野が眼下に広がっていました。


(多賀城跡から見る、冬の仙台平野 -宮城県多賀城市 2008/12/06-)

 多賀城が築かれた頃、朝廷は武力を背景にエミシに朝廷への服属を迫り、従ったエミシには叙位を行なっていました。そのような中で築かれた多賀城は、国府(地方行政府)である一方、鎮守府(エミシ鎮圧のためにおかれた役所)も置かれ、朝廷の支配域を北東北へ伸ばす拠点となったのです。


多賀城の場所はコチラです




1年前の一品・・・お休みでした
2年前の一品・・・「269)岩手散歩 一戸町(中里の田植え)」
その他の品々・・・コチラでございます。

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