林住期に突入!何処に住む?何処をめぐる?

仕事や世間から自由になり、己の人生を振返り森や林の自然を感じ静かに生きる林住期に突入!さて、何処に住み何処を巡るか?

東ヨーロッパの旅-Ⅱ-「旧ユーゴスラビアの国々を訪ねて」

2019年10月29日 | Weblog
スロベニア以外にも、旧ユーゴスラビアの国々を訪ねた。
(クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

旧ユーゴスラビアが解体して 25 年以上が過ぎた。
旧ユーゴといえば、紛争・地雷・サラエボ冬季五輪、
昔の世界史の授業で習った「7 つの隣国、6 つの共和国、5 つの民族、4 つの言語、
3 つ の宗教、2 つの文字で構成される」複雑な国という印象ぐらいの知識しかないが。
もともと旧ユーゴは、美しいアドリア海のビーチリゾートと美しい湖、
中世の町並みと山間の渓谷など、見所の尽きない国であったはず。
戦争により多くのものが破壊されてしまったが長い時間をかけて修復されているという。


まずは、スロベニアから車でクロアチアに向かう。

九州の約1.5倍の面積に、人口約440万人と多くの島々を抱える東欧の美しい小さな国クロアチア。
そしてサッカーが強く人気が高いことでも有名。
最近は、毎年、自国人口の2倍以上の1000万人近い観光客が訪れまでの人気が高まっている。
その筆頭が、世界遺産にもなっているドブロヴニク。
クロアチアの最南端のドブロヴニクは、スロベニアから約700キロ。

そこで、クロアチア第二の都市スプリットに立ち寄りながら、ネイムで一泊。

スプリットは、かつての古代ローマの皇帝が建てた宮殿の跡を
そのまま旧市街とし、遺跡の中で現代市民の生活が営まれているという
ユニークな街。





観光客向けのパフォーマンスも。

路地奥にはおしゃれなカフェ、レストランが並ぶ。

そしてスプリットは、
アドリア海沿岸最大の港町でもあり、アドリア海の航海の起点にもなっている。


スプリットから途中にネイムに一泊。
アドリア海海岸沿いにスプリットからドブロヴニクに向かうには、
海岸線沿いに一度、ボスニア・ヘルツェゴビナを通過しなければならない。
その通り抜ける途中にある町がネイム。
つまり、国境を出たり入ったり2か所通過しなければならない!

そしてやっと翌日、
ドブロヴニクに到着。
ドブロヴニクはクロアチア南部、 アドリア海に面した小さな港町。
1979年に世界遺産に登録された旧市街は、
オレンジ色の屋根と紺碧の海との美しいコントラストで
「アドリア海の真珠」とも謳われる。


ドブロブニク旧市街へ行くメインゲート「ピレ門」を通り抜ける。



旧市街地の中心となるプラツァ通りと、
湧水が絶え間なく流れるというオノフリオ大噴水!


旧市街を取り巻く「城壁」は全長約2キロメートルで、
様々な角度から観光して楽しめるスポットとなっている。








海岸にはクルーザーやヨットが停泊し海への観光も。



趣ある街中はとにかく階段が多く、なぜか猫をよく見かける。



クロアチアから、
隣国ボスニア・ヘルツェゴヴィナへ。

ヨーロッパと中東の間に位置するこの国は、東西の文明の十字路として
オスマン・トルコ、オーストリア・ハンガリー帝国等、各時代の支配者文化の影響を受けてきた。
現在はこのボスニア人・クロアチア人が住む「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」と、
セルビア人が住む「スルプスカ共和国」との二つの「国」が国土を二分している国家。

首都のサラエボ。

現在でもイスラム教徒(ボスニア人)の住民が多く、
基本的にキリスト教圏であるヨーロッパにあっては異色の旅行情緒を満喫できる町。
ひとつのエリアにクロアチア人のためのカトリック教会、セルビア人のための正教教会、
ボスニア人のためのモスク(イスラム教徒の礼拝堂)が並んで建っているという、
なんとも不思議な光景に出逢います。

中心部にある「サラエボ大聖堂」は、ボスニア・ヘルツェゴビナで最大のカトリック教会。
そして、
「ガジ・フスレブ=ベグ・ジャミーヤ」はボスニア・ヘルツェゴビナで重要なイスラム寺院。



街中は古い建物が多く、暗い雰囲気が漂う。

日本人にとっては、冬季オリンピックが行われたことも記憶にあるが、
そんな華やかな印象はみじんもない。

モスタルへ。
サラエボと並び、ボスニア・ヘルツェゴビナを代表する観光地である世界遺産の町。





1991年に勃発した民族紛争とも呼ばれるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(旧ユーゴスラビア内線)の際、
特に国境沿いのこの町は戦火が激しく、大きな打撃を受けた町でもあり、
町の至るところに銃弾の跡が残る建物があるなど、紛争の傷跡を目の当たりにする。





民族それぞれの文化が融合したモスタルは、ヨーロッパなのにヨーロッパとは思えない
独特のオリエンタルな雰囲気が魅力の町でもある。

イスラム文化とヨーロッパ文化が融合した独特のオリエンタリズム漂う旧市街には、
モスタル(ボスニア語で橋を守る人の意)の名の通り、
この街のシンボルとなっている橋「スターリ・モスト」。
オスマントルコ朝のイスラム文化が色濃く残るこのエリアは、
橋のかかるこの川を挟んで東側がムスリム人、西側がクロアチア人と住み分けられているそう。





旧市街に点在する土産物店をそぞろ歩けば、トルコっぽいデザインの陶器がズラリ。



人気のある国民食「チェヴァピ」。
ボリューム満点のお肉料理が自慢のボスニア料理!

最後の訪れたのは「バニャルカ」。
バニャルカは西北部にあるボスニア・ヘルツェゴビナの第2の都市であると同時に、
スルプスカ共和国の事実上の首都となっている。



街中は、「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」側の都市に比べ、
戦火の痕もなく整然ときれいで、安全な感じがする。




街中に市場があり、その入り口近くで花を売る人たち。

見事に年配の女性がズラリ!


夜のライトアップも美しい!!

市内の城趾内という変わったエリアにある素敵なレストランに行った!









「ヨーロッパでも最も貧しい国のひとつ」とも言わるボスニア・ヘルツェゴビナ。
まだ癒えぬ戦争の傷跡や様々な問題を抱えながらも、より良い未来に向かおうとしていると。

そんなボスニアの大きな「希望」のひとつが観光業。
最近では、多くの観光客が訪れ、日本人のツーリストも増えてきているという。

今回の旅は、旧ユーゴスラビアの3か国を車で移動。
行ったり来たり、国境を超えること数回。
おかげでパスポートにスタンプが多数!


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東ヨーロッパの旅- Ⅰ-「知ら... | トップ | 令和の紅葉!! »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事