・ 【人が多すぎても、少な過ぎても僕には向かないのです】
紋別には立ち寄りお風呂の立派な施設があります、残念ながら温泉ではないのです
(約30kmほど下がると上湧別のチューリップ温泉があります)
駅跡がそのまま残っていて今にも発車オーライです、鉄路はずっと前に廃線なのです
・ 【チューリップ温泉もサウナが新しくなっていました】
料金も少し値上げしていて550円になってました、3年前と比べると温泉もキャンプ場も押しなべて料金が50円から100円値上げになっています
・ 【上湧別はサロマ湖に近くホタテの町でもあります】
昔はホタテそのものを産出してましたが、土地の人に聞くとオホーツク北方の猿払などに稚貝を出荷していると聞きました
(昔はサロマのホタテとして有名でしたから、ホタテの加工所は沢山あります)
近くのH水産ではホタテのつかみ取りなんてありました、強く握った手では出口を通らない悔しさがありました、今でもやってるのでしょうか
・ 【平坦な土地が広がって畑作やホタテ、酪農の町です】
人口減は広がってまして、個別集中で1戸当たりは大型化してます、町は寂れているように見えても豊かな町です
でも温泉の横にお店を構えていたお寿司屋さんが営業していませんでした
(以前入った時はひょうひょうとしたご主人が辛うじて握っていたように思います)
・ 【今は上湧別になりましたが、元の駅名は中湧別なのです】
廃線になりましたが海岸の湧別まで鉄路は伸びてました、中湧別駅は湧別戦の紋別駅までのび、湧網線が網走駅まで繋がっていました
(中湧別駅はターミナル駅で機関区もありました、SLは石炭と水を補給しないと走れないのです)
SLは大昔の話で廃線時はデイーゼルの気動車だったと思います
・ 【十字に分岐するターミナル駅でした】
駅舎はありませんが、こ線橋は営業開始当時のままです、鉄路は先に三方向へと延びていました
(名寄線終点の湧別駅まで、湧別線、湧網線も廃線で僕の歴史に残ってるだけです)
SLは運航に先立って準備する事が数時間もあって、厳冬期の北海道での運行にはどれほどの手間がかかったのでしょうか
・ 【上湧別はチューリップ公園で有名です】
バス停は可愛いチューリップの形に仕立てられていました、オランダのチューリップの球根を仕入れてアメリカに輸出してました
オランダが途中からダンピングしてアメリカに輸出するようになるとチューリップ栽培が下火になってしまいました
・ 【チューリップで町が潤った記念として公園が立てられた見たいです】
チューリップは来春の開花で今は広大な畑の作付け準備で畑を機械で根起こししていました
(チューリップは球根で育ちますが、球根を埋め放しにすると来春が上手く育ちません、一度球根を取り上げる必要があります)
我が家に埋めた球根初めの年は大きく育ちましたが、球根埋め放しにすると翌年の生育が悪く、今は影も形もありません
同じ球根でも水仙毎年同じところから勢いよく伸びてきます
侵略されたウクライナはロシアに攻勢をかけていますが、ここでも戦禍の被害をまともに受けるのは住民です
ウクライナの攻勢が強まるといくらピンポイントの精密誘導弾で砲火は集中するといっても、近くの住民はたまったものではないと思います
ウクライナ避難民を大量に受け入れて無人地帯になってるとしても住んでいる人は居るはずです
ロシアは原発を盾に籠る卑怯な戦術をとってますから、通常弾薬では住民を盾にする位はやるでしょう
まして市街戦になったら犠牲は大きく成ります、激戦になればなるほど住民被害の矛盾を抱えて戦う事になっています
(民主主義の確立には多くの犠牲が伴うと言ってもそれは将来の姿からみての事です)
今まさに犠牲を強いられるのはかないません、侵略しているロシアの敵と住民保護の2重の戦いを強いられてます
ロシア側に立って戦う日本人が居ましたことは大変に残念に思います、大義はロシアにあると思って参戦したそうです
人は様々な考えで行動しますが、ロシアに大儀があるというのはどういう事かしら、聞いてみたい
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