しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

岩内では美術館に寄りました

2019年06月27日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                       【昔の人の作品でした】

先日富良野で伺った日本画の後藤美術館と違って油絵の美術館でした

木田金次郎さんをネットで参照しましょう

「岩内尋常高等小学校高等科卒業後、上京し開成中学、京北中学に通う。京北中学時代から絵を描き始め、また上野の展覧会
 に通うようになる。1910年、学校を中退し札幌市郊外で絵を描き続ける日々を送る。札幌で開催されていた展覧会で有島武郎
 の絵と出会い感銘を受け、スケッチを携えて訪問。以後有島との交友が生まれるが、その後岩内に帰郷し漁業に従事する。
 1923年に有島武郎が死去して以降、漁業を離れ画業に専念する決意を固める。1945年、後志美術協会や全道美術協会の創立に
 参加するが、出品はしなかった。1953年、札幌市にて初個展を開催。1954年、洞爺丸台風による「岩内大火」により作品の
 大多数が焼失する。 」

洞爺丸台風は僕の中でも記憶が残っていておじさんの家の屋根が飛ばされ、母が慌てて救援物資を送ってた記憶があります
あの時岩内では大火に見舞われたのです、(残念ながら岩内の大火の記憶は僕にありません)

台風15号の被害は洞爺丸だけではなかったのです


・            【岩内は日本海沿いの町でした】

昔はフェリーも出ていて活気のある町だったのです、今もこの辺では一番大きな町でセコマ以外にローソンもセブンもホームセンター、銀行などがあります


・            【今回の旅は孤独と芸術なのです】

シイタケの今回の旅は孤独を楽しむ、孤独を癒してくれるのが芸術であり、音楽や落語であり読書なのです


・            【北の魚「そい」が描かれていました】

展示の中で北の魚「そい」の絵が焼き魚定食を食べたせいで一番好きな作品になっていました、金次郎さんは元漁師であったそうですし
セザンヌの影響を受けていると説明がありました

(静物画を描いた時のセザンヌのような筆使いでした)

僕には美味しそうに見えました


・            【原発のような建物でした】

美術館の屋上は回廊のようになっていて360度の岩内が望めます、岩内の対岸積丹半島の付け根にある泊発電所です


・             【昔のニシン景気で堅牢な木造建築立っていました】

岩内から長いトンネルを往復して再び寿都に戻って来ました、寿都はニシン景気を忍ばせるようなニシン番屋を新築していました
似たような建物群は江差にもありますので二番煎じならないようにお願いします、全て木造だと新築の白木が直ぐにくすんで来るので心配です


・            【寿都は木造建築で家並みを強調しようとしています】

今日は瀬棚を通って太平洋岸の八雲で車中泊予定です、しかし良い事ばかりではありません、目的のすし屋さんは昨年からやっていない
ようですし、居酒屋さんも水曜日が定休のようでした、こうなれば本日行ける所まで行きましょう、結局森の道の駅で車中泊でした

(万事が上手く行かない日もあります)


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