しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

桐生:一番原始的「織機」の姿です!

2010年11月27日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・            【こんな簡単な仕組みが原始の形態です!】

織物記念館、資料館はいくつか桐生にはありまして、どこに入ったらママの参考になるのでしょうか?

(本人は「のこぎり屋根パン工房」あたりで満足気味ですし、そんな所でパンなぞ食べて
 いては時間がなくなりますよ!)

僕に理解できたのは織物資料館で織物の歴史や機織のクラブや自動織機の実演などがあってここで十分満足です



会館での最初のコーナーは展示物だけでした


・            【空引機って説明受けたけれど忘れました】

「そらひきはた」とも読むんです、ネットから引用です

「織物に文様を表したいとき、いろいろに染色しておいた経緯(たてよこ)糸を織機にかけて操作し
 文様を表すことになる。これには原始機を時間に関係なく、手の先で組織してつくりだすことはで
 きるが、これを機械的に操作できるものとして、あらかじめ必要とする文様を糸組みにして組織し
 ておいた空引機構を装置しておいた機がつくられ、それを操作する空引工(紋綜(もんそう)
 工)、単に綜(へ)工ともよぶが、この織工に相対して、それぞれに連なる綜絖(そうこう)糸に
 連絡してある通糸(つうじ)を操作することになる。中国で漢代までに開発されたこの空引機は、
 複雑な紋織組織を忠実に反復して織り出すことができる。この機は、中国から東西に分かれて織技
 とともに伝播(でんぱ)することになる。
 5世紀にわが国に伝播した機は、中央の官司(かんし)制のもとで制度化され、高級織物を製織する
 ことになり、のちには、西陣(にしじん)を中心として、多くの公家(くげ)織物を製織しつづけ
 てきた。しかし、明治以後には、西欧からのジャカード織機にとってかわられ、大正期には消滅す
 ることになった。また、中国から西に伝播した空引機は、現在では、中近東、インド、あるいはス
 ペインから新大陸に渡った中世の古い機が、グアテマラに残存しており、現在でも使用されている」

○×▲・・・・?残念ながらこの内容を簡単に表現する能力を持っていません!



単純な縦糸と横糸の組み合わせだけでは柄模様のある布はできません


・         【模様を織り込む複雑な仕掛けが上部にあります】

複雑な横糸の絡みが重要でして、複雑な仕組みは僕の能力は超えています
昔の人は手作業でこれをこなしていました

(複雑な最初の縦糸のセッテイングを終わると「ハタ揚げ」と申します)



今、静岡におります、流石に県庁の所在地だけにあって駅前は人が流れております
これが産業都市の浜松だと少し様子が違っていて人がまばらなんです

電車で来ましたから、帰りに初めて「静岡おでん横丁」と「おでん街」に寄ってきました
基本的に4時半からお店は一斉に開けるみたいです、早くからくる客の為に密かにお店は
開放されています

噂とおりに僕にピッタシの屋台風のお店です、店舗はとても小さくカウンターの周りに
椅子が並べられているだけ、早い時間ですから年配の主婦層が多く楽しそうに打ち解けて
いまして、どうやらお馴染みさんのようです

僕らも仲間に入れてもらって早速「おでん」を頼みますと、真っ黒いつゆの中から
串に刺された「静岡おでん」が取り出されて、どれも1本100円とリーズナブルな
お勘定です、珍しいものは「黒はんぺん」位で串にさされている事が「静岡おでん」の
必須条件であるみたいです。

日本酒、ビールが飲める電車出張に感謝しながら帰って来ますと按配悪く
ママが珍しく「おでん」を熱心に作ってくれていまして、「おでん」屋さんのと違って
「味がしみていない!」と冷静に分析結果を吐露したら、100倍怒られました!

(ママの努力を省みない失礼をお許し下さい、言葉が不足していました、今度ゆっくり
 飲み直しましょうね)


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