しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

伊東にも行列のできるラーメンがあります、「福々亭」さんです

2016年02月13日 | 居酒屋:食事
・                         【藤沢のお店は閉めてしまいました】

(日ごろは健康の為にラーメンはできるだけ食べないようにしていますが、ここの支那そば系ラーメンのお味に記憶が30年前に戻りました)

その後ご本人様は東京に進出してラーメン評論家になってTVでも活躍なさいました、行列に並んでやっとお店にはいると三方がカウンターだけです
周りで話す人はいません、お客さんが見つめる中、真ん中いるご主人様(佐野氏)が一生懸命になってラーメンと向かいあっています、まるで30人のお客に対して真剣勝負を挑むようでありました

(店内は味噌ラーメンと醤油だったかな、「当店は九条ネギを使用しています」の札も張られれていました)

あたりはピーンと緊張感が張り詰め話す事は許されないそうでした、三方のカウンターは10人づつ食べている人、注文の出来上がりを待っている人、
注文した人の列と回転していて10人づつ行列が進むのでした(行列の途中で味噌、醤油、大小を店外で聞いて効率よくお客さんをさばいていたのです)



お店の雰囲気は似ていますが店主は馴染みの客と話はしていました、純白の割烹着は手伝いの女性を含めて毎日取り換えているのでしょうか、白く眩しい位です

(普通の中華屋さんは少し汚れてシミも目立ちます)


・                         【カウンターはL字形でした】

冒頭の雰囲気に近いお店だなと思っておりました、夜に入ると行列はないですが、昼間マリンタウンへバスで戻って行くために店前をみましたら
なんと行列が出来ていましたのでご報告です、伊東で一番おいしいラーメンといえばギトギト系の吉田家ラーメンに尽きると思ってましただが
佐野さんの「支那そば系のラーメン」がいつの間にか伊東の地に進出してきました



昼と夜の2回お店は開きますが3時頃行ったのでは準備中になってしまいます


・                         【本日あいにくと準備中になっていました】

夜お店に入った時、何か懐かしいラーメンのお味でしたから気になっていました、伊豆高原にも「木八」ラーメンがありまして紹介します

「人気のラーメン屋さん!中華そば専門店 木八
 行列のできる人気のラーメン屋さん、中華そば専門店 木八(きはち)さんでランチしました!
 ラーメン¥700。煮卵・もやし・チャーシュー・ネギ・海苔・ニンニク・メンマなどなどのトッピングもあります。
 スープは背油たっぷりのとんこつ系。しかし、一口飲んでみると思いのほかあっさり!
 コシがあってツルツルっとした中太麺にスープが絡みます。プラス¥50で細麺も選べます。チャーシューもやわらかくて美味しいです。
 こちらはラーメン大盛り¥850。
 中華そば専門店 木八さんは当ホテルから車で約10分、伊豆高原駅やまも口から徒歩約2分です。」

城ケ崎にも「福○家」(フクワウチ)さんがあって常連さんで賑わっています、また居酒屋「俺ん家」のラーメンも捨てがたい良いお味で
人気ですが、このお店でラーメンを食べるまでには幾多の艱難辛苦を強いられるでしょうが伊豆高原に来たら是非行っていただきたい



店の看板を見て「やっぱりね!」の感慨を抱きました


・                          【「佐野実」の印がのれんを飾っておりました】

佐野系ラーメンを流れを汲む支那そばラーメン店は全国にどれ位あるのでしょうか

「神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生まれた。
 中略
 本人曰く「ラーメンが胎教代わりだった」との事。
 中略
 高校卒業後、横浜ドリームランド内の不二家レストランに就職。同店のカレーライスが好きで、1ヶ月近く通い詰めるほど旨かったからという
 以後ずっと洋食の世界ですごし、28歳から34歳までは管理職(店長)を務める傍ら趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていたが、
 独立してラーメン店を開きたいという思いが募り、「修業はした方がいい」と言う地元・戸塚の飲食店組合融資部長が斡旋した
 湯河原の青竹手打ち麺が売り物のラーメン店で1週間修業したのち[13]、実兄の資金援助を受けて1986年8月に藤沢市鵠沼海岸7丁目に
 「支那そばや」を開店した。店名については、自分の原体験から「ラーメン」より「支那そば」という名称の方が馴染みがあったとのことで、 
 前述の融資部長のアドバイスも受け入れた上で決めた[13]。初めは思うような味が作れず、客も少なく、厨房で涙を拭った事もあるという。
 店の経営がようやく軌道に乗りはじめたのは、2年後の1988年ごろである。2000年からは藤沢の店舗は佐野の弟子に譲ったが、
 辞めてしまった為2004年に閉店している[14]。
 ラーメンの世界で唯一頭が上がらない人物として、旧「東池袋大勝軒」店主の山岸一雄の名を挙げている[15]。
 中略
 私生活では息子と娘が一人ずつ居り、佐野の店舗は娘が継いでいる。息子は愛媛県今治市でイタリア料理店を経営している。」

弟子たちが伊東の地でも頑張っていました



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