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【釧路市内へと入ってきました】
釧路に入ってきました、釧路はロンドンと同じ霧の町です、霧はなく雨上がりで
曇っていました
標津から中標津を通ってきて、釧路湿原のど真ん中を通過したはずです、湿原の
思い出は記憶に残っていません
(雨中で曇っていて回りはモヤの中です、トラックが多い緊張走行のため左右の景色を
眺める余裕がなかったのです)
【釧路湿原】
「一般の観光客は、高台にある複数の展望台から眺めるか、遊歩道を歩いたりカヌー等による川下りによって湿原の観察を行うことが出来る。また、JR釧網本線は一部の区間が湿原内を通るため、列車に乗車したまま観察する方法もある。湿原の東端には、「細岡展望台・ビジターズラウンジ」がある。蛇行する釧路川を一望でき、正面に宮島岬やキラコタン岬が望める。展望台の下にはJR釧網本線釧路湿原駅が設けられており、臨時の観光列車である「くしろ湿原ノロッコ号」も停車する。また、JR釧網本線塘路駅付近には「サルボ展望台」、道道1060号沿線には「コッタロ展望台」があり、著名ではないが釧路川の流れと釧路湿原東側を眺めることが出来る。西端には、「釧路市湿原展望台」と「温根内ビジターセンター」がある。こちらからも雄大な湿原を一望できるが、湿原内を蛇行する釧路川は視界に入らない。それぞれの施設付近に探勝歩道が整備されており、植物や鳥類などを観察しながら湿原に触れることができる。また、両施設の間(約4km)を、旧鶴居村営軌道の廃線跡を転用した探勝歩道が結んでいる」
カッパを着用ての雨中走行ですから前方注意です、丹頂鶴のいる景色を見とれる
余裕はありません、道路を駆け抜ける大型トラックの走りっぷりに感心しながら走行です
(雨中の走行では対向車はもちろん、マンホールや工事用の鉄板が要注意なのです!)
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摩周湖・阿寒方面との分岐点、中標津あたりでのコンビニ朝食でした
(ここら当たりで雨は上がりました
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・ 【これを食べたのは釧路手前でした】
貧弱な食事です、地元のコンビニに寄ってお土産を買ったついでにカッパを脱いで食べます
別海町は大きな町です、海側は野付半島を根室まで続くし南には釧路まで続いています
(朝飯なんて何でも良いのです、北海道へ来てまでインスタントとは情けないと
思わないでください、 お腹さえ膨れれば満足です)
一人旅ライダーは雨降りが一番嫌いなんです!
カッパを着ると雨が止んで、脱ぐと再び雨に襲われるという不合理になすすべもありません
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釧路は人が歩いていない寂しい町でした
(僕が居た時の釧路は30時間かけて築地に向かう冷凍貨物車が駅をはみ出す
荷役作業もあって、人口の伸び率が全国ナンバー1と活気に満ち溢れていました)
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・ 【中央の小高い丘の上にあるのが病院だと思います】
この時期は釧路沖での群発地震のせいもあって揺れる家の中での留守番は心細かった
ように思います、旭川から親父の転勤で届いた家具類を引越し先に荷物を入れている間に
転校手続きで市役所に訪問して、新川小学校を指定されて行きましたら
生憎と本日は全校遠足という、明日の訪問を約束して新居に帰りましたら、家具が入らない
という不手際で急遽、再び引越しという慌しさです、
改めて引越しのし直しで入居ですが、翌日学区が違うので再び転校という顛末で
寿小学校へ入学いたしました
(幻の新川小学校でした、当時、単身赴任という言葉はなく、家族そろって異郷の地へと動く
モーレツサラリーマン、家族の悲哀劇でした!)
時に会社の転勤も4月でなく7月という時期もあって、小学校6年から釧路の中学に
入学後、札幌の中学校へ2学期に転校、教科書が全く違うハンデイを負わされました
一番ビリの成績から半分位に上がったら、こんどは北見へ行けという、さすがの僕も
ここで挫折しました
(挫折感はこれで終わりませんでした、僕の転校生活はさらに続くのでした)
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北洋漁業の基地として川幅一杯に漁船が全国から終結して、栄華を誇った港町を知る者に
とっては寂しい限りの船溜りとなっています
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・ 【おやじはこの町で入院して人生の敗北を感じたかもしれません】
僕も脳梗塞を患いました、心臓で2回入院したときは何も感じませんでした、
今回は加齢もあって、行く末を感じてしまいます
親父さんも身寄りのいない身で大手術&入院生活で不安だったと思います
お袋も毎日の看病で疲れていましたね
小学生の僕が付き添ったって何もできません、お袋さんが幣舞橋でふらついて
後ろから来たバイクに跳ねられて転びました、怪我はなかったのですが
子供なりにバイクに怒る同時に、どんより暗く寒い夕方です、おふくろさんの寂しげな
後ろ姿が印象的で今でも心に残っています
(幣舞橋は釧路の象徴に違いありませんが、僕にとっては悲しい思い出なんです)
【幣舞橋(ぬさまいばし)】
「北海道釧路市にある橋。国道38号が通る。釧路川を越え、同市北大通と同市大町を結ぶ全長124m、幅33.8mの三径間連続鋼床版箱桁橋である。日本初の橋上彫刻「四季の像」があり、釧路を代表する観光名所の1つ。釧路十景に数えられる。現在の橋は5代目(1977年竣工)」
(釧路川には当時「ししゃも」が遡上して漁も行われていました、今は全く「ししゃも」の話は聞こえません)
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