しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

「パンク」では仕方ありません、「一関」まで戻って高速道を使って「滝沢村」までワープです!

2013年09月04日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                【「北上川」は大雨で大河になっておりました】

(手前の草までなぎ倒されていましたからガードレール脇まで水に浸かっていたと思います)

パンク修理してくれたJAFの人はこのタイヤで高速道路の走行はしないで下さい、応急修理ですから
飛ばさないでね、タイヤがホイールから外れると事故になりますと脅かされます、過去に似た体験があって
パンクした状態で10km位走ったって平気な事は判ってます、修理マニュアルにはなんて書いてあるか
判りませんが、タイヤって結構丈夫なんです!

(大丈夫だと判っていてもJAFさんに念を押されれば心配になります)



夜には八戸フェリー乗り場に着きたいのです、22時発の最終フェリーに乗れなければ明朝までどこで
過ごせば良いのでしょう!

(八戸はかって知ったる夜の街でもあります、安宿&飲み屋さんもあって青森市より楽しい街でもあります)

パンクで都合3時間近い時間をロスしました、ここで行きがけの震災地巡りは断念です、気仙沼をあきらめて
一関まで戻りましょう、2年前に来た時は気仙沼と一関の中間地点、千厩という所に宿に泊まりました
何しろ地図が無いので道路標識だけが頼りなのに尋ねる人も出てきません、横を流れる大河「北上川」
を北上すれば何処かで国道4号線と合流するはずと思い進行です、今では完全な間違いルートである
と気が付きました、さらなる時間をロスしていました

(やはり地図位は直ぐに出せなければなりません、道路標識には盛岡とか八戸なんかまだ出てきません)

大雨が降ったせいで「北上川」は濁流が渦を巻いて流れて、今にも氾濫する位に水位が上がっていました



洪水に近い水量で流れる「北上川」でした!


・              【津波は北上川を50kmも遡ったと聞いています】

「2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の巨大津波は、日本国内では過去に
 例を見ない約50kmの遡上(そじょう)を観測するなど、海岸線のみならず北上川奥深く
 の沿岸地域に甚大な被害をもたらした。河口の一部地域はいまだに水没したままの状態である」

河口の石巻から50kmとはこの辺までではないでしょうか?



こんなところに親近感のある道路標識ですが!


・         【左に「藤沢」、右に「川崎」とあっても「土地勘」が全く働きません】

(高速道路で貰える無料の地図は縮尺が大きくて、この地名は未記入なんです)

一関市は岩手県の最南端にある都市で、仙台と盛岡のほぼ中間になります

青森には「横浜」の地名だってあるのです、この時点でまだ一関に到着していません、これから東北道に乗って
盛岡の一つ先、滝沢ICで再び国道4号線と合流して八戸まで向かうのです、高速道路での思い出は全くありません

ちょっとだけパンクしたタイヤは気になりました、走行には全く支障はありません、フェリーに乗ってから
札幌で交換してくれるバイク屋さんでも探しましょう!

迷いながらもなんとか北上川の大橋を渡って、東北道に乗れました、タイヤが心配なのでSA毎にタイヤチエックです

(タイヤチエックしたって僕には判断能力がありません、タイヤの温度を下げるのが関の山なんです
 幸い盛岡方面に入ってくると気温は低くなって来ました)

ふと見ると左側には岩手山のシュプールが薄暮を背景に照らされてきました、ここで17時発のフェリーは諦めです

(どうせ乗れたって、17時便の苫小牧到着は早く着きすぎて深夜の2時です、ネットカフェーで
 夜の明けるのを待たねばならないのです、22時便は7時頃の到着ですからバイク族には丁度良いのです!)

八戸に早く着き過ぎても高速道路代が無駄なんです、滝沢ICで降りることは頭の中で決定しておりました、
これから八戸までは100km程度です、バイクで3時間位です、22時発最終フェリーに
間に合えば良いのです、石川啄木の生家がある渋民村は深夜に通るといつも迷う場所です、
夕方で周囲は明るくどうして迷うのか判りません、多分4号線のバイパスと旧道で迷う感覚が
出てくるのです、どちらも真っ直ぐ行けば最後には合流していました

(あほな「しいたけ」はフェリーのインターネット予約は満杯で空席無し、それでも「現地に行けば乗れる!」
 信じて走行中でした)

国道4号線の道路標識に「青森」はあるのですが、なかなか出てこなない「八戸」をしり目に
これで良いのか、ちょっと不安にもなりました



本日は歯の2回目手術でした、健全な顎の骨にドリルで穴を3個空けてボルトを入れられました
途中で麻酔が切れてきて、「痛いですか!」「麻酔を打ちましょうか!」「あと少しです!」等と
十分痛いのですが、言われて答えるのも面倒と思いそのままにして堪えていました、
これで最後です、「縫っておしまい!」です、と言われてヤレヤレと安心していましたら、
縫う作業が一番痛かったのでした、前回の時はチョンチョンとテンポ良くやって戴きましたのに
今回は目にタオルで見られませんでしたが、痛くて堪えていると涙が出ていました
「先生縫う時押し付けないで!ちょっと乱暴じゃないですか!直ぐ終わると言ったじゃないですか!」
等の反論は言いたいけれど我慢です、ヤセ我慢せず素直に麻酔1本追加願いますと言えば良かったのでした

歯茎も右と左では組織解剖学的には違っているそうで、今回は毛細血管や神経が浮いていて
前回より手間取って時間が掛かってしまってと親切な説明でした、思うに患者の痛みより
治療優先を貫いておりまして、冷静沈着で怪力の先生だと思いました、力のない女の歯科医師さんでも
できるのかしら?歯科医師さんは頭が良くなくてもいいのです、器用で力持ちで乱暴位が丁度良いのです、
これからも、取り合えず「よろしく」でお願い申し上げます!

(奥歯で物を噛む食生活は忘れておりました、でも不都合はありません、いつもお酒の流動食ばかりでした)

人生最後の歯の治療だと思っていましたが、人に聞くと10年位しか効果は持続しないようです



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

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