・ 【八代にも貴重で伝統のあるお祭りが保存されていました】
循環バスは八代城址とでんでん館に向かいます、お祭りでんでん館の正式名称は、「八代市民俗伝統芸能伝承館」といいます。
「八代市に残る多様な民俗文化財の保存継承と魅力を発信するとともに、祭りや伝統芸能を支える後継者育成の場としての役割があります。
お祭りでんでん館には八代妙見祭や神楽、棒踊り、女相撲など市内各地に伝承する民俗文化財の魅力を紹介する展示棟の他
妙見祭に登場する獅子や笠鉾など大切な文化財を適切な環境で保管するための収蔵棟、祭りや伝統芸能の練習の場として
活用できる伝承ルーム及び、会議室を備えた一般の方も有料で利用できる会議棟があります」
・ 【妙見祭が行われるビデオが写されていました】
町内から多くの山車が運行されて来ました、全部でいくつあるのでしょうか。山車は大名行列風に練り歩きます
・ 【先端についているのは黄金の株です】
株が上がるようにだそうです、脇の細工は日本最古の螺鈿細工で作られていると説明がありました
(貴重な山車で荒らしい真似は出来ませんが、河原では暴れ馬の妙技もあるのです)
・ 【川岸では暴れ馬の馬引きが行われます】
着飾った馬に若者が取りついてなだめるのです、お祭りの中には河原で暴れ馬を沈める行事が勇壮に行われました
(こういう歴史のあるお祭りには参加できるのは元から定住者です、僕など動く民には参加する資格はありません)
団地で行われたお神輿程度ではお祭りの神髄は味わえません
本町商店街でショッピングですが、立派なアーケード街が続いてますが、残念な事にシャター通りとなっていました
まだ商店街が通常開く時間帯ではないのですが、閉じ放しのシャッタ風景が見られました、多分郊外には
大きな駐車場があるショッピングセンターが出来ている筈です
(開かずのシャター商店街でした、果たしてここが観光名所になるのでしょうか、無駄に歩かされた気がします)
・ 【寂し気なシャッター通りを最後まで歩きました】
結構な長さがある通りですが、11時前もあって開店しているお店は少なかったです、最後まで行くと何かがあるだろうと
期待して最後まで行きましたが、何もなくとぼとば暑い中を戻って来ました
(ママはちょっとした文房具が欲しかったのでうが、最後まで行っても文房具を扱うお店はありませんでした)
・ 【くまモンの販売店だけが賑わってました】
僕はゆるキャラに全く興味がないので冷房が効いていたので付き合いましたが、ママの買い物は長い事続きました
(冷房がヒヤリと効いて待合には良かったのですが、長居はできません、ママはくまモングッズに夢中で
僕が外で待っていても戻ってきません、女性の買い物の長さに付き合いきれません)
観光バスは次の目的地である妙見神社まで行きます
・ 【妙見神社に行きましたが、僕は神社にも関心がありません】
日頃神頼みする癖に神社に参ろうとはしない天邪鬼ですが、楠に無数の銃弾の跡があって西南戦争に巻き込まれた跡が示されていました
「日奈久温泉から上陸しようとした別働第2旅団は、薩軍300名が征討軍上陸に備えて警戒しているとの報を受け
3キロ南方の洲口の浜に上陸地点を変更する。上陸した黒木為楨歩兵第12連隊長率いる2個大隊と警視隊500名は
薩軍1個小隊の迎撃を受けるも、鳳翔の援護射撃もありこれを撃破。部隊は八代まで進撃を開始し
14時には球磨川を渡って八代を制圧した。夕方には高島大佐も上陸し、八代に橋頭保を確保した 」・・・ネットより
(西郷さんは鹿児島から熊本まで攻め上がりましたが、ここから退却の憂き目に会いました)
何故今でも国賊である西郷さんは全国的に人気があるのでしょうか、新選組も悲惨な結果に終わってるのに愛されています
結局八代観光は長い商店街を歩かされて往復した挙句に食事もとれず、温泉にも入れず最後は遅れて来た観光バスにのって
ぎゅうぎゅう詰めに乗せられて帰ってきました、こんな観光でも出かけて良かったのです、全てが思い通りになると旅行とは言えないのです
(ノーベル候補作家の村上春樹さんが旅行記の中で言ってました)
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