十年前の11日、慌ただしく女孫の通う保育所にたどり着く。
娘も、ほぼ同時に保育所に・・・。
娘は、小1の男孫を学校から受け取り、その足で保育所に駆けつけたようだ?
私たちは、この日も孫を迎えに行く予定をしていた。
孫たちに食べさせるものの準備を終え、
茶の間で一休み・・。
そこに、ガタガタと家が壊されるかのような爆音、
それに、ボウルが弾むかのように家が上下する・・・・。
・・・・・揺れの長いこと。
それにしても、人間の記憶はあまりあてにならない!!
さすがに、3月11日の地震はほぼ記憶している、しかし、
翌日からの事は、2週間ぐらいの事が、
断片的で当てにならないものだ・・・・・。
いずれ、オニギリ等多くある!!
そのまま、娘宅泊る事になった。
余震が夜通しある、翌朝まで続いていた。
女孫は、余震の都度泣くこともあり、眠れるものではない!!
眠い目をこすりながら娘宅を出たのは、午前5時20分。
さいわい、飲料水はこの地区独自の水道、大いに助けられた。
とんぼ返りで、
我が家から娘宅に飲み水を運ぶ・・・。
ともかく、巨大地震の余震が続いている・・・。
我が家の被害があるかどうか確認したのは、それから・・・・、
・・さいわい2階にあるこけしが、1本床に落ちていた。
不思議なぐらいだ。