記事<像と言葉…そして考える~>
<2017-12-27 12:15:41 | 想い思い考える>
コメント欄で、「呼吸法」が話題になっている。
それらのコメントを読んで、ト伝ちゃんが、
記事<マトのど真ん中を射抜く」について~>
<2017-12-31 09:10:36 | 想い思い考える>
のコメント欄で、いつもの如くに、
南郷継正否定コメントを書き込んでいる。
私的な疑問は、
なぜ?ト伝ちゃんは~
呼吸法が話題になっている記事
<像と言葉…そして考える~>への
書き込みではないのだろう…
さて、呼吸法を考える時、
先ず問うのは「呼吸とは?」である。
その答えは「生命の歴史」に書かれている。
「生命(体)」が地球・環境と一体的でいられる為のモノ」、
「一体的でいられる為の相互浸透」…
でも…私が、ここで語りたいのは、
「呼吸法の使用法」である。
私は過去に「借力」?という書物で「呼吸法」を少し齧った。
その前は、東映映画の千葉真一空手モノで、
剛柔流の「息吹き」、「逃れ」…等を知った。
その後は、気功法や合気道の呼吸法…の事を知った。
話は、遡て小6の頃の私である。
当時は祖父宅での生活であった私は、
早寝・遅起きの二人から、早寝させられていた。
そんなある日…
床に入っても眠れない私は、自分の呼吸に関心が向けられた。
それは、息を吸うと胸が膨らみ、吐くと胸が萎むモノ(胸式呼吸)であった。
でも、当時は胸式呼吸という名前を知らず、当然に腹式呼吸も知らなかった。
そんな中、私は、
『吸って胸が膨らむ、なら吸って腹を…はできるかな』
と思い付き、実際に床で腹を意識して何度か試してみた。
その後の記憶は定かではなく~
当日なのか別日なのか覚えていないが…
私は、私の呼吸が胸膨らみから腹膨らみに変わっている事に気付いた。
これって大人への成長で普通なのだろう…と勝手に思い込んだ。
その後、大学時代、空手愛好会の後輩の呼吸が胸式である事に気付いた。
その時、「え!大人は、みんな腹式呼吸ではないの?」と驚いたモノであった。
たぶん…そんな呼吸法の体験からであろか…
成人して社会人になっても…、呼吸法について興味・関心が深かった。
さて、呼吸法にも、当然に、「つくり方」と「つかい方」があり得る。
中学時代の体育の教師に、
「『すぅ!すぅ!』・『は!は!』と、
二回づつ吸う吐くして、走ると苦しくなくなる」
と教えられ実践した。
さてさて…私の本題は以下のコメントへの返答・反論である。
>南郷氏は確か「呼吸法なんざ」と呼吸法は重視していなかった覚えがありますね。
>様々な武道や格闘技を経験する中で「呼吸」というものを重視している流儀は結構ありましたね。
>南郷氏および玄和会は、そうした「息を合わせる」といった日本人の文化・言語表現と真剣に向き合わずに、西洋的な自然科学的な観点ばかり見ようとした。
↑~
これは、
記事<マトのど真ん中を射抜く」について~>
<2017-12-31 09:10:36 | 想い思い考える>
のコメント欄での
「Unknown (卜伝)」
「2018-01-01 02:16:23」の中で
>呼吸法について少し語りましょうか。<
で始まっている記述である。
南郷氏は武道空手の指導者である。
武道空手で「呼吸法」が必要になるのは、達人レベルでの闘いの場てある。
技に殆ど差異のない武道・空手の達人同士の闘いなら
「呼吸法」は、相手を倒す為に有用・効果的な働きをし得る。
しかし、そんな闘いをしない武道空手の修業者に呼吸法の強調は有
益どころか、有害である。
思い浮かべてみよう。
自由組手で相手への突っ込みの際に、自分の意識を呼吸へ向けたら…
果たして、その突っ込みは成功するだろうか?
こんな簡単な場合をイメージできずにト伝ちゃんは、
自分勝手に他人の言葉をつなぎ合わせて、
南郷氏批判・否定を繰り返して
一体全体…奴は何を得られるのだろうか?
それはト伝ちゃんのコメントが如実に語っている、だろう…
私が月研ぎさんがコメントしてる記事を避けたのは「関わり合わない」という合意のためですね。私も関わり合いたくありませんし、喧嘩にならないように別の記事にコメントしたわけです。
自由びと氏のやっている玄和では呼吸というのは上級者がやることのようですが、ボクシングだとかキックボクシングだとか中国拳法だとかは入門した初心者が教わってやるもんですよ。
呼吸が上手に出来ないと激しく動き続けることは出来ませんから、最初の最初に教わることで。もっとも、玄和のように騎馬立ちだとか前屈立ちで一発一発繰り出す練習する流儀に呼吸なんて必要ないのかも知れませんけどね。
まあ、著書で他流試合を想定してる団体に知見を授ける意味はありませんけど。実際にやり合うわけですし。
私は朝霧華刃でしたっけ、玄和内部では具体的に教えてるんだ、なんて書いてる卑怯な姿勢は大嫌いなんですよ。
合気道でも、呼吸法をやっているようですよ。
教えるだけなら、色々な所やっていますよ。
重要なのは、何の為の呼吸法か?なのです。
ボクシングの試合は長丁場、
中国拳法もなかなか一撃必倒とはなり難い。
だから、その為の呼吸法でしょう…
でも武道空手は、一撃必倒が目標です。
スタミナ温存的な呼吸法は不要でしょう。
私は自分の経験で試合で本気で闘うことが酷く体力が必要だと知り、殴ったり蹴ったりだけのルールでも2分2ラウンドの試合でヘロヘロになったからスタミナ養成には力を入れているだけで。
これに組み討ちが入ってきたなら更に体力が必要ですし。相手と本気で揉み合うって偉く疲れるんですわ。
一撃必殺で疲れずに決められれば良いかも知れませんけど、実際の戦いでは相手が必ず組んできますし、闘わなくてもサンドバッグを殴り続け蹴り続けるだけでも疲れますよ。スタミナは必要ですね、少なくとも私には。
呼吸法にも色んな段階がありますから、ヒクソン・グレーシーが活躍して以来、フルコンタクト空手の選手や総合格闘技の選手がヨーガの呼吸法をやったりするようになりましたよね。極真だった数見さんとか。
私の自宅の近くにも火の呼吸の看板だしてたヨーガの道場があったんですけども、何年か前に引っ越しましたね。
でも、玄和でもスタミナは必要なのでは?試合時間が何分か知りませんけど、カラテクターつけて闘うのも体力いりそうだし、現代社に綜合看護を買いにいったとき早稲田の同好会を覗いたらランニングしてましたしね。
呼吸法は何の目的でやるか?については若い頃に一つの解答を得たんですが、離れていると忘れてしまっていましたね。
私は若い頃に神経症のような感じになってしまったことがありましてね、その頃に救ってもらったのが高岡師範の呼吸法のメソッドでした。
自律訓練法なんかもやったんですが、余り効果的でもなく、呼吸筋の意識的操作という方法が平常な精神状態に私を戻してくれました。
人間の呼吸というのは自律神経と密接に関係しているようで、呼吸筋の意識的操作で副交感神経優位のリラックスした状態に戻れましたから。
だから月研ぎさんなんかは「意識」という表現を使っていましたけれど、正に大脳による「観念、認識」ではなく、もっと旧い脳による生命力というか「意識」、呼吸なんでしょうね。
武道や格闘技における「動中の静」という、いわゆる「不動心」「平常心」というのは交感神経と副交感神経とがバランス良く働いている緊張しながらもリラックスしている状態なのだと想像しますね。「想像」というのは、私が実験科学的な再現性ということを知っているからですけれども…。
ですから、南郷氏の『武道への道』だったかで武道修行によって平常心へ至る方向とヒステリーに至る方向との両極端が一致する、みたいな論述があったように記憶していますけど、平常心へ至るのが交感神経と副交感神経とがバランス良く働いている状態になれる人間で、ヒステリーに至るのが交感神経優位のままになってしまう人間なのではないかと思いますよ。
だから、ある意味で呼吸法というのは激しくトレーニングした後のストレッチだとか整理運動だとかと同様に心身を整えていく働きをすると言えるかも知れません。
南郷氏の書いている用語であれば「人間体からの脱却と人間体への収斂」の後者の「人間体への収斂」と玄和の会員ならば位置づけるのでしょう。
『武道の科学』(三一新書)の田熊の憤怒の表情から普通の現代人の表情に戻していくのが呼吸法だとも位置づけられる。
自由びと氏が如何なる経験を有しているかは知りませんけど、私のようにリングの中で試合した経験があると相手の攻撃を生身で接触することで背筋がゾクリとシビレが走り、「やばい、やられる」との恐怖感が逆に自分の中の獣性を呼び覚ますことに繋がるのを感じます。
そんな私からしたならば、澤山宗海の「拳法は天性を呼び覚ます道」という言葉は、現代科学の方法論といった話では全くなく、原始の野性を呼び覚ませる「暴力」の話だと読めてしまうんです。正に、野球やサッカーとは異質の暴力性が武道や格闘技にはあるからです。
だから、本田さんが感動したという「悟り」「平常心」といった問題は実は心理学の問題ではなく解剖生理の医学の話だったという繋がりに至り、でも法医学で死体の研究の方向にいった本田さんは、違う道に行ったんだと考えたりしますけども。
まあ、これも余計な話でしょうがね。
しょうが~ないね…
ト伝ちゃん~
そんなに私の返答が欲しい・気になるなら書きましょう。
私は、師範が観念論的に「呼吸法を軽視」とか「不要なモノ」とか、
「どうでよい」とか思っていない、と確信しています。
一般的に呼吸法の修得は有効です。
でも…その時点での取得の必要性は、修行者によって異なってます。
そもそも…護身術としての武道空手を学ぶ初心者に当初からしょうが~ないね…ト伝ちゃん~
スタミナ・呼吸法を考える・教えるのは、どうなのでしょう。
それよりも、護身が可能な技を教えるのが急務なのでは?。
護身の闘いに、闘い続けられるスタミナ・呼吸法を求めるのは、
どうなのでしょうか?
弱者だったら~
即、瞬倒・瞬殺されて、スタミナ・呼吸法…以前に終了ですよ。
ト伝ちゃんは、ト伝ちゃんの立場で南郷氏を理解・否定しようとしているしょ!
だから、言説が全く南郷氏とは真逆になってしまう、のです。
でも…まあ~。そ
れはそれで面白く読ませて頂いています。
御馳走でないけど…ご馳走様です。
時には、粗食・粗食論も、
嫌ですけど…栄養価を考えると…良いモノです。
ただただ…口当たり・歯ごたえの違和感に、何とも耐え難いモノが…
でもでも~それも修業で修行なら、耐えましょう!やりましょう!
「新・悟りを求めて~」の為なら、
え~ん!や、こ~う!ら!
技の修得の時間が減ります。
ボクシングや中国拳法と、武道的な護身空手を一緒に考えるのは、どうなのでしょうね。
ト伝ちゃんが、「それでもいいだ!」と確信するから、どうぞ御勝手に~
「自律訓練法」は私の場合は、「眠ろう!」という意識を鎮める為にするのです。
「余り効果的でもな…」いのは、
ト伝ちゃん「自律訓練法」への、「ないモノねだり」なのでは?