弁証法性とは?!
弁証法性とは何か?
弁証法性とは、事物・事象の「変化・運動性の『変化・運動性』」!
それは、変化・運動・「生々生成・発展・衰退・消滅」性」の「変化・運動性」の事。
例えば、ある人は、毎回ペットの死に悲しみ泣き崩れていた…
でも…あるペットの死を境に、全く泣き崩れ程の悲しさ表現では無くなった…
これは、悲しみ・泣き崩れる感情から、悲しいが泣き崩れる程ではなくなった…という事。
人間の喜怒哀楽とは、その時々の感情の変化。
それは、一般性を持った個性的な感情の変化。
誰もが「最愛のペットを失ったら悲しい」モノ…
「悲しい」という感情は同じでも…
その感情に伴う言動・行為・表現…は、十人十色で、それぞれ個性的であろう。
初めは「泣き崩れる程の悲しみ・表現」が…
ある事を契機に、泣き崩れる程では無くなっ悲しみ表現へと変化したなら…
それは、その人の悲しみという感情変化は同じでも…
その感情変化(表現)の質が変化した!という事であろう。
その感情変化・運動性の変化の理由・契機は…度重なるベットの死の体験で~
「ペットの死のに慣れてしまった」
「そのペットがあまり可愛くなかった」
「人前で泣き崩れる事に恥ずかしさを覚えた」
「犬生・人生の無情・死の必然性を実感して当然だと受け入れた」
その理由・原因・契機…は、千差万別でも…
それらの「理由・原因・契機」には、何かとの相互浸透・量質転化化がありえる…
繰り返されるペットの死に慣れた。
繰り返される悲しみの感情に慣れた。
ペット死の度の突然死・人生(生死)無情に慣れた。
弁証法性を帯びたとは?
ある対象に対する、その人の感情が変化した。
その「感情の変化」とは?
それはその人の「対象の対する問い掛け」の変化!
以前は「ベット死に悲しかった」
でも…「今は悲しくない」
以前は、ペットの死が泣く程に悲しくなかった。
今は、泣きたくなる程悲しい。
以前は、母の死の時、通夜・告別式…その場で泣けなかった私
でも…家内の死では…告別式開始前、周囲に人がいない事を確認して独りで泣けていた私。
母親の死、は悲しくない?
家内は死、は悲しかった! のだろうか?
否!…母親の時は、離婚していた父親の前(継母は一緒)で初めて大泣きできた…
後で(父親の死後)…継母から…「あんたは…お母さんを殺した!」と言われたが…
それは、私が父親の前で「もっと母親の健康を注意していれば」…的な後悔を述べたからだろうか…
「母の死」時の私は、そのような悲しみの感情が、何か理解できない程に大きかったのだろう…
それは、例えるなら…人類は、大きすぎる地球を「球体」として感じ取れないような事。
母は、私にとって地球のような存在だったのかも…
それでも…「家内の死」では、二度目の強烈な悲しみだったので…それを自覚できたのだろう…
母が地球なら、家内は月なのかも…そう言えば~
家内は、月が好きで、月齢カレンダーが好きだった~
初めの「母の死」では、過去に無かった程の自身の強烈な悲しみ・マイナス感情を見て取れなかった私…
でも「家内の死」では、二度目の強烈な悲しみであり、その悲しみを見て取れるような実力があった私…
でも…しかし…
「強烈な喜び・プラス感情」ならいいけど…
「強烈な悲しみ・マイナス感情」なんて…見て取れない方がいい!
ただ…その事の悲しみが大きく・深い程に感じられる人間は…
また、その事の喜びも大きく・深く感じ得るモノなのだろう…
その谷が深い程に、その山もまた高い!
どう!ですか?
以上で~「弁証法性とは?」・「弁証法性を帯びた!」が、理解して・分かって頂けたかな!?
半ば引退していたのですが先日 謎解きエドガー・アラン・ポー 竹内康浩 新潮選書を読む機会があり そこに弁証法的問題を見つけました。面白かったのでamazonの書評に書いてみました。御一読ください。著者が初歩的な弁証法的解釈をしているので それを含めて Xで指摘しようと思ったのですが 提灯記事や絶賛の嵐なので 私の出番ではないなと。思いとどまりました。学者や物書きの世界は魑魅魍魎が蠢いていますからね。出版業もビジネスですから 仕方がないとしても 三浦つとむのような 弁証法を駆使する批評家はもういないのですね。
久しぶりのコメント嬉しいです♪
「半ばの引退…」とは、少しは時間に余裕ができたという事ですか?
今の私は、Gooブログのコメント引っ越しで結構苦戦しています。
記事の引っ越しは、息子にやってもらったのですが…コメントの引っ越しシステム的にはダメなので…
引っ越しついでに、過去のtadaさん・月研ぎさんコメントを再読したら…以前には気が付かなかった意味を読み取れて…とても勉強になっいます。
さて~以下が、その書評ですか?
違っていたら、教えて下さい!
小林秀雄賞受賞作『謎ときサリンジャー』を超える
スケールと衝撃! 新たなる代表作
推理作家・法月綸太郞氏、慶應義塾大学名誉教授・巽孝之氏、絶賛!
「おもしろすぎて痺れる」「ミステリの面白さそのもの」「自分が今まで読んできた
サリンジャーは何だったのだろう?」等、幾多の絶賛の声が寄せられた前作『謎とき
サリンジャー――「自殺」したのは誰なのか』(朴舜起氏との共著)から4年。
同書は作家の恩田陸氏を「これはすごい。画期的という単語が陳腐に思えるほど、画
期的」と唸らせ、京都大学名誉教授の若島正氏を「興奮した。グラス家の物語に目を
凝らせ(シー・モア・グラス)! 耳を澄ませ!」と驚愕させ、東京大学教授の阿部
公彦氏を「余人の追随を許さぬ探究ぶり。ぞっとするような快感を覚えた」と賛嘆さ
せるなど読書界に静かな「事件」を巻き起こし、第21回小林秀雄賞を受賞しました。
本書『謎ときエドガー・アラン・ポー』はこう始まります。「こんなことを言えば途
方もない妄想家だと思われるでしょうが、どうやら私はエドガー・アラン・ポーの未
解決殺人事件を発見し、その謎を解いてしまった気がするのです」そしてこう続きま
す。「一人の男が殺されているというのに、現場にいる登場人物たちは誰もそれに気
づかない。殺害場面を読んでいるはずの読者も、その犯行を見過ごしてしまう。そん
な巧妙な完全犯罪が、もう二世紀近くもの間、ポーの作品の中に隠されたままになっ
ていると私は思うのです」
なんと竹内氏は「知の巨人」ジャック・ラカンやジャック・デリダも研究者として名
を連ね、幾多の論文、学術書が世に問われてきた「推理小説の始祖」の作品中に「二
世紀近くもの間」誰にも気づかれなかった「未解決殺人事件を発見し」、「謎を解い
てしまった」というのです。
しかも、その作品こそが「ポーの推理小説の最高到達点」であり、ポーが推理小説を
書かなくなった原因であり、ポーの「作品世界を読み解く鍵」だと言います。本書の
終盤で「デュパンもの」はもちろん、「黒猫」から「アッシャー家の崩壊」に到るま
で、ポーの名作の数々が竹内氏の提示する「鍵」によって新たな姿を現し始めるので
すが……その詳細はどうか本書でお確かめください。
また、本書とほぼ同時期に米国では英語版学術書Poe's Perfect Crimes: Hidden Plots
in the Dupin Stories and Others(『ポーの完全犯罪――デュパン物語他に隠された
プロット』)がMcFarland社より刊行されます。日本人初のエドガー賞(評論・評伝部
門)最終候補となった竹内氏が、本作で受賞なるか……こちらも合わせて注目です。
[著者]竹内康浩(たけうち・やすひろ)
1965年、愛知県生まれ。アメリカ文学者。北海道大学大学院文学研究院教授。東京大学文学部卒。
Mark X: Who Killed Huck Finn's Father?(マークX――誰がハック・フィンの父を殺したか?)
がアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)の評論・評伝部門で日本人初の最終候補となる。サ
リンジャーの他、スコット・フィッツジェラルド、フラナリー・オコナー、マーク・トウェイン、
エドガー・アラン・ポー等に関する論文を主にアメリカで発表している。
そうそう~引っ越し先は~
gooブログが終わってしまう…ので、
ここの記事を引っ越しさせる事にしました。
今後は、
Seesaaブログ「悟りを求めて…」
Amebaブログ「新新悟りを求めて~」で記事をアップする予定だ!
上記の二つで行きたいと思っています♪
•
上記のコメントは、seesaaブログ「悟りを求めて…」http://satoritaihito.seesaa.net/article/515065085.html にも載せました。
Amebaブログ「新新悟りを求めて~」では、これだけの字数のコメントはダメでした。
確認してみて下さいね…