柔軟性について~
「水は器に合わせて形が変化する」…これは「柔軟性」なのだろうか?
確かに、対象に即して変化する事は「柔軟性」だろう。
でも、対象の器がないなら、水は地面いっぱいに広がってしまい…
水そのモノ・水自体の形そのモノが、そもそもない!
人間の赤子時代も同様に、
その赤子時代の人間には意志がなく、赤子に五体・姿形はあっても…
その五体の運動は、赤子の意志・認識とは無関係になされている。
それは、「水のような柔軟性」とも言えよう!
そんな赤子は、その成長過程で、色々な運動姿形を体得・修得していく~
これは、姿形なき柔軟な運動性から、ある程度の姿形のある硬質的な柔軟性へ変化していく。
この五体の姿形はあっても、その運動に姿形がない・定まってない柔軟性が、
成長過程の環境・生活の中で、徐々にある特定の範囲内の姿形へと定まっていく~
その範囲は、環境・生活での五体の運動させ方・運動の範囲内の姿・形である。
(1)それらの五体の運動が、環境・生活からの外部的・強制的なモノなら自然成長的…
(2)それが外部から強制であっても、自らの意志で喜んでのモノなら自然的意識的…
(3)また、外部・強制とは無関係に自己の意志での運動なら目的・意識的…
(1)は、癖・習慣的運動~
(2)は、カン・コツ~
(3)は、弁証法的~
弁証法は、全体的な変化・運動性の統括・総括的な変化・運動性の法則化なら、
弁証法的とは、ある部分の変化・運動性の部分の総括・統括的な変化・運動性の法則化…
11時11分~愛柴犬マロン散歩へ出発~なので
~つづく~