タマが光に還った木曜日
タマの亡骸に寄り添いながらこの15年の間にタマがやらかしてくれたあんなことやこんなことを思い出しながらサメザメと涙して過ごす
一夜あけた金曜日
目が・・・痛い
ドライアイで目がカスカスになってイガイガヒリヒリと痛くてたまらない
目薬を何度さしてもアイボンで目を洗っても目の表面を潤してくれるはずの涙が湧いてこないので一日中目が痛かった
これが「涙も枯れ果てた」状態なのだろうか?
最近お年頃なのかドライマウスの自覚はあったけどドライアイの自覚はなかった
巷では号泣するとセロトニンがたくさん分泌されるのでストレス解消や癒しの効果があるということで「号泣セミナー」なるものがあるらしいが、そんなもんに参加した日には目が乾ききってしまって余計ストレスが溜まりそうだ
そしてタマにお別れをしてから青年Hとバァチャンと三人で斎場までタマを運ぶ
お別れの花をタマの亡骸の上に置いていたとき、ふと見るとタマの毛の上で宿主を亡くしたノミたちが右往左往していた
タマの血流が止まってしまったのでどうしていいかパニックになっているのだろう
それを見ていたら環境がガラッと変わってしまった地球の上で右往左往する人間に見えてきた
そうだ 私たちって地球という宿主に寄生するノミと一緒なんだ・・・
地球のダメージが大きくなれば結局は私たち人間や動物たちが生きていくことはできない
母なる大地に感謝して大切にしなくては・・・
と思う
斎場で最期のお別れのときバァチャンが「タマ 今までありがとね」と泣いていた
15年前タマを飼う事にしたとき一番文句を言って反対していたのがバァチャンだったのに・・・
15年の歳月は人を変えるものだと思った
いやタマが変えたのか・・・
以降・・・
スーパーでお刺身コーナーにさしかかった時
あぁもうタマのためにスキミを買う必要もないんだと思う
家に帰って駐車場に車を入れるときタマがいない
いつも駐車スペースに寝転がっていてどんなに車を近づけてもクラクションを鳴らしてもどいてくれず仕方なく車から降りてタマをどかしていたのに・・・
(時には道の真ん中に寝そべっていてほかの家の車が来てもどかなかったこともあった)
ダンナさんが帰ってくると必ず食卓の椅子の横に座ってお相伴のお刺身をもらうのを待っていたのに
今はダンナさんが帰ってきてもそこにはいない
タマがいつもいた場所にふと目をやってもそこにタマの姿がない
などなどちょっとしたペットロス症候群にひたっているのだけど・・・
タマがいつも寝そべっていたお気に入りの椅子の上に目をやるとそこには福ちゃんが寝そべっている
そう この福ちゃんがかなりの曲者で・・・
猫のトイレを使うくせにそれ以外のところにもオシッコをするという厄介者なのが頭痛の種
我が家には猫のトイレは3か所ある そのいずれもちゃんと使っているのに・・・
なぜかダンナさんのベッドの上と居間のソファの上もトイレだと思っているようだ
毎日福ちゃんの動きに目を配りどこかで粗相をするそぶりをみせないかと見張る毎日は結構神経をとがらせている
おかげでタマのことを悲しんでいる暇もあまりない
これがパンちゃん1匹だけだったらパンちゃんを膝にのせて
「タマいなくなっちゃったね」
などと繰り言を言って一日を無為に過ごしていたのかもしれないが
アホの福ちゃんのおかげでそんな呑気に過ごしていられない
ダンナさんは「ウチの猫と子供はアホばっかり」とよくぼやいていたけど4匹目のネコもやっぱりアホだった
そんなこんなで今日も福ちゃんのあとを追いかけながら
タマが小さかった頃もあちこちで爪とぎして傷だらけにしたのを追いかけまわして怒ったっけなぁ~
と懐かしんでいる今日この頃なのです
タマの亡骸に寄り添いながらこの15年の間にタマがやらかしてくれたあんなことやこんなことを思い出しながらサメザメと涙して過ごす
一夜あけた金曜日
目が・・・痛い
ドライアイで目がカスカスになってイガイガヒリヒリと痛くてたまらない
目薬を何度さしてもアイボンで目を洗っても目の表面を潤してくれるはずの涙が湧いてこないので一日中目が痛かった
これが「涙も枯れ果てた」状態なのだろうか?
最近お年頃なのかドライマウスの自覚はあったけどドライアイの自覚はなかった
巷では号泣するとセロトニンがたくさん分泌されるのでストレス解消や癒しの効果があるということで「号泣セミナー」なるものがあるらしいが、そんなもんに参加した日には目が乾ききってしまって余計ストレスが溜まりそうだ
そしてタマにお別れをしてから青年Hとバァチャンと三人で斎場までタマを運ぶ
お別れの花をタマの亡骸の上に置いていたとき、ふと見るとタマの毛の上で宿主を亡くしたノミたちが右往左往していた
タマの血流が止まってしまったのでどうしていいかパニックになっているのだろう
それを見ていたら環境がガラッと変わってしまった地球の上で右往左往する人間に見えてきた
そうだ 私たちって地球という宿主に寄生するノミと一緒なんだ・・・
地球のダメージが大きくなれば結局は私たち人間や動物たちが生きていくことはできない
母なる大地に感謝して大切にしなくては・・・
と思う
斎場で最期のお別れのときバァチャンが「タマ 今までありがとね」と泣いていた
15年前タマを飼う事にしたとき一番文句を言って反対していたのがバァチャンだったのに・・・
15年の歳月は人を変えるものだと思った
いやタマが変えたのか・・・
以降・・・
スーパーでお刺身コーナーにさしかかった時
あぁもうタマのためにスキミを買う必要もないんだと思う
家に帰って駐車場に車を入れるときタマがいない
いつも駐車スペースに寝転がっていてどんなに車を近づけてもクラクションを鳴らしてもどいてくれず仕方なく車から降りてタマをどかしていたのに・・・
(時には道の真ん中に寝そべっていてほかの家の車が来てもどかなかったこともあった)
ダンナさんが帰ってくると必ず食卓の椅子の横に座ってお相伴のお刺身をもらうのを待っていたのに
今はダンナさんが帰ってきてもそこにはいない
タマがいつもいた場所にふと目をやってもそこにタマの姿がない
などなどちょっとしたペットロス症候群にひたっているのだけど・・・
タマがいつも寝そべっていたお気に入りの椅子の上に目をやるとそこには福ちゃんが寝そべっている
そう この福ちゃんがかなりの曲者で・・・
猫のトイレを使うくせにそれ以外のところにもオシッコをするという厄介者なのが頭痛の種
我が家には猫のトイレは3か所ある そのいずれもちゃんと使っているのに・・・
なぜかダンナさんのベッドの上と居間のソファの上もトイレだと思っているようだ
毎日福ちゃんの動きに目を配りどこかで粗相をするそぶりをみせないかと見張る毎日は結構神経をとがらせている
おかげでタマのことを悲しんでいる暇もあまりない
これがパンちゃん1匹だけだったらパンちゃんを膝にのせて
「タマいなくなっちゃったね」
などと繰り言を言って一日を無為に過ごしていたのかもしれないが
アホの福ちゃんのおかげでそんな呑気に過ごしていられない
ダンナさんは「ウチの猫と子供はアホばっかり」とよくぼやいていたけど4匹目のネコもやっぱりアホだった
そんなこんなで今日も福ちゃんのあとを追いかけながら
タマが小さかった頃もあちこちで爪とぎして傷だらけにしたのを追いかけまわして怒ったっけなぁ~
と懐かしんでいる今日この頃なのです
自分のナワバリにしようと?
・・・あやうし、ダンナさん
私がソファでうつぶせになって寝ていると福ちゃんが背中に乗ってくるのね
いつかオシッコひっかけられるんじゃないかって・・・
おちおちくつろいでもいられません