北国の自称カメラマン日記

北国、札幌で生活するカメラマンへの復活日記です。
日々思いついた事を書いてみます。

虚像を作り出す力

2004年05月29日 | Weblog
すいません、手抜き記事です。ほかのブログへのコメント記事です。


物の本質も見極める難しさを痛感しているこの頃です。
「小さな出来事」が「大きな出来事」のように世の中に出てきたり、またその逆もあったり。
ネット世界の普及によってあらゆる情報があふれ、その情報の信憑性を確認する暇もない位広がりを見せる。
意図的に情報をリークする人間もいれば、情報を改ざんしれ流す人間も存在する。

時が経って振り返れば、誇張された情報の虚像に自分も飲み込まれていた。そう気が付いた人も増えていると思います。(自分もそうです)

記者クラブと言う談合組織や、○○協会という排他的組織は、自分が報道の最先端にいて、情報の中心に居るという錯覚に陥っているような気がします。多すぎる情報は混乱を生み出すかもしれませんが、少なすぎる情報もまた虚像を作り出す。そう思います。

私は、「自衛隊(又は日本人)が人道支援に行く」というのは賛成ですが、その過程があまりにも自国の利益を追求して派遣されるようになったのは納得がいきません。
かつて「日の丸」を掲げたら友人だったのが、今は敵なんて・・・

日ごろ抑圧された不満が、変な形に噴出されてるきがします。

手抜き

橋田信介氏行方不明に訂正。

2004年05月29日 | Weblog
少なくても、ジャーナリストを目指す人間が、未確認の情報を信用して、推測でこのような媒体に投稿してしまった事を深く反省します。

自分でも書いたように、DNAの鑑定など確定的な情報が一切無いにもかかわらず、安易にテレビの情報や状況で判断してしまった。
以後、気を付けなくてはならない。
勝谷氏のブログを見て、気づきました。

「現場の苦労は現場に居た者しかワカラナイ」不詳!宮嶋大先生の言葉。
この言葉に共感を覚えて宮嶋氏のファンになり、マスメディアに報道されない事が多々あると言うことを学んだのが、生かされていない。
報道には、必ず裏取りが必要な事はわかっているつもりだけど、今、自分が得られる情報は、共同の情報が家のスピーカーから流れる訳でもなく、テレビやネットを頼らざるを得ない状況に甘えているのかもしれない。

深く反省します。

橋田信介氏逝く

2004年05月28日 | Weblog
橋田信介氏が亡くなったようだ。

DNAなどの鑑定は未だのようだが、状況的に間違いないようでる。
自分が、そう確信したのは昼のニュース番組を見て思った。
それは、あのジャーナリストの「勝谷誠彦」氏が黒いスーツで番組に出演していたのを見て、かなりまずい状況なんだろうと思ったのである。

勝谷氏のHPには断定出来ないような内容と、間違いであってくれと言う内容が書いてあったが、昼の時点で何か情報が入ったのかもしれない。
もう一人のゲストも濃紺系のスーツで居たので、ああやっぱりそうなのかと思った。

橋田氏は最近「朝まで生テレビ」にも出演して、ベテラン戦争ジャーナリストとして出演していたが、こんな事になるとは。

その後、橋田氏の家族がインタビューの答えてるのを見て、例の5人とはやっぱり違うなと思った。比べるのも失礼な位・・・


テレビ局の人間は、つねに自分のロッカーにスーツとネクタイが入っているそうだ。アナンサーは階段を使うとか色々社内ルールのようなものもあるそうです。今回、同じ報道に携わる者の道義として黒スーツを着ていたと思われる勝谷氏と、司会の草野氏の違いを感じてしまいました。(あくまで推測ですが)


死して尚多くを語る橋田信介氏の冥福をお祈り致します。

内地って使う?

2004年05月28日 | Weblog
自分の新着記事のそばに、内地と言う言葉に付いて書いてあるブログがあり、反応して書き込んだ内容をそのまま書きます。

自分は20代後半なのですが、内地ってたまに使います。生まれた時から聞いてた言葉なので反射的に使ってしまうのですが。

日本は、首都東京を中心に行く時、「上る」と言い、地方に行くに従って「下る」と言いますね。子供の頃、汽車(道民の一部は未だこう言ってます)に乗った時なんで南に行くのが「上り」で、何で北に行くのが「下り」なのだろう?って思っていました。

会社で東京に転勤は「栄転」で、地方に転勤は「左遷」。
東京=都(みやこ)=お上 的な風習なんでしょうか?

自分は、沖縄には修学旅行で1回しか行った事が無いのですが、また行きたい場所のひとつです。11月の頭に行って、半そでになるなんて思いませんでした。でも、沖縄の人は皮ジャンでしたけど。
その時に思ったのは、日本人なら一度は沖縄や広島や長崎に行くべきだと思いました。(長崎は小6の時行った)

北海道の場合、開拓されてせいぜい150年位なのですが、もうすでに開拓スピリットは無いですね。自分の親の世代でも殆どが北海道出身が多くなって、実家が内地って言う感覚も少なくなって来たせいもあると思いますが、最近、モー娘。に北海道出身者が多いせいか、北海道弁として「内地」って話していることも耳にします。

言葉にも歴史ありって事でしょうか?

内地

運動会で転ぶお父さん

2004年05月28日 | Weblog
我が札幌市の小学校は、今週末が運動会のようだ。

子供の頃、運動会の借り物競争や親子競争等の競技で、必ず転ぶお父さんがいる。大抵足が速くて驚かされるのだが、途中で転んでしまう。何故なのか?最近、その現象を実感してしましました。

普段の生活の中で、全速力で走る事なんて滅多に無い事なんだけど、最近運動不足な事もあって、ちょっと走ってみようなんて思ってしまって、走ってみたら、なんと!驚愕の事実が!「ガチンコ風」自覚してしまったんですよ。ホント・・・

自分はあんな風にはならないって思っていた。

なのに・・・


足は軽く感じるのに、前に倒れそうになるんです。
しかも、えらく時間が長く感じて、なかなか前に進まない。
中学時代、毎日何本もダッシュや走り込みや筋トレしてたのに・・・

ショックでした。

私は原因を考えました。自分は昔かなり意識して肉体を使っていました。そして、すべての感覚が無意識のうちに手足を動かしていました。ダッシュの時、コンマ3秒の違いも走っていてわかりました。

多分、脳に昔の肉体の記憶が残っているのではないか?
そう言う結論に達しました。

運動会で転ぶお父さんを見かけたら、昔きっとハードな運動していたんだなって思ってあげて下さい。

月末恐怖症

2004年05月27日 | Weblog
「月末恐怖症」
一人暮らしをはじめてからかかった病気。

主に会社経営者によく感染するようだ。

毎月、10日を過ぎると月末カウントダウンがはじまる。
このブログも、現実逃避の行為としてはじめたのかもしれない。
電気・電話・ガス・水道・携帯・その他あらゆるものと戦って来ました。

中でも一番辛いのは家賃と水道でしょうか。
うちの大家さんは寛大な方ですが、もう限界です。
水道が止められた時はかなり困りました。飲み水はなんとかなりますが、風呂に入れない。つらいです。
銭湯が360円くらいですが、これってかなりの贅沢ですよね。きっと
その時は、本気で生活保護の相談に行きましたが、はっきり言って生活保護者の方が、私より贅沢な暮らしが出来ます。

取り立てで思い出したのですが、子供の頃よく借金取りが家まで来てました。
ドアをがんがん叩いて、貼り紙をして行くんです。
最近はあまり派手にやらないようですが、ア○フルなんかは一番ひどかったですね。

こんな経験を重ねると、並大抵のトラブルでは動揺しません。

最近、架空請求の葉書が家に来ました。
でも、過去の債権も怪しいので断定できませんが・・・
そうそう、武○士なんかの取り立ても、架空請求業者そっくりでした。

で、今月の課題は家賃です。
仏の顔も三度まで、まずいです。
歪んだ請求には対処出来ますが、正当な請求には従うしかないのです。
なんとかせねば・・・

フリーターを作り出すモノ

2004年05月27日 | Weblog
http://blog.goo.ne.jp/buriburipipi/e/d81fda5faf1093b25dafe9731d1d6c1c
上のブログに触発されて書いてみます。

現在の私の立場は、社会的に見ればフリーターなのだそうです。

フリーターにもおおまかに2種類があるとおもうのですが、

1・やりたい事があるけど生活の為仕方なくアルバイト。
2・目的は無いけどとりあえずアルバイト。

自分は1のパターンです。実際にはかなり生活困難ですが・・・

何故、こんなの世の中になったのか考えてみました。
・世の中に希望が持てない。
昔からそんなの当たり前だと言う意見もあるでしょうが、今の世の中は情報が多すぎると思います。 自分の将来がなんとなくシュミレーション出来てしまうんですね。 そうすると、人間無駄な事はやりたくないので、その場しのぎ的に仕事をする。そう思います。

・実家にパラサイトをする。
今、会社に勤めてもらう給料は、初任給で16万(北海道は)でしょうか? これが、アルバイトだと13万位になります。 13万、実家に住んで家に5万いれても残り8万。 所が、一人暮らしだと13万ではかなり貧しい生活を強いられます。 冠婚葬祭は勿論貯金も出来ません。 スーツをクリーニングに出すのも躊躇します。
こんな現実を目の当たりにしたら、当然実家暮らしを選ぶでしょう。


話は変わりますが、自分が20才の頃、30代の大人が大!大!大嫌いでした。 とにかく鼻に付くんです。 仕事も覚えて実績もあって行け々なんでしょう。 当時、バブル期に入社した30代の自慢話が、大嫌いでした。 その時、自分は絶対こんな風にはならないぞと決めました。


今、世の中に余裕が無いのか、人を育てるのが下手だと思います。
会社にしたら、人材を育てるのは投資ですが、それを怠って来ました。 そのツケが回って来たように思います。
この前テレビでこんなインタビューをやっていました。 「先輩社員が新人社員に言いたいこと」 その中で、「新人はとにかくメモを取りなさい」と言うのがありました。 もうーアホかと! 自分が後輩に教育出来ないから、メモを取らないとやってけない状態なのに、なに言ってるの!
自ら何度もやって見せて、繰り返し教えて、それで身になるものを、教えた事は一回で覚えろ!的な事では中身の薄い事しか覚えません。
人は自分の経験を元に人に教えるのだろうから、きっとその先輩もそうされて来たのだろうと思います。

これからは、人を育てる能力も、もっと評価されるべきでしょう。

自分もそろそろ大嫌いだった30代になるので、人生の後輩達にもっと希望が持てる世の中になるよう努力しなくては、と思うのでした。

水曜どうでしょうと大泉洋

2004年05月27日 | Weblog
水曜どうでしょう
が復活しました。
この番組、全国的に盛り上がって来ているようですが、北海道にいると実際どうなの?って思ったりします。

大泉洋という人物も、はじめは学生だったのが、「ローカルの星」と自負するまでになりました。その過程を見てきた道民は、お気に入りの新人アイドルが大スターになっていく過程と同じ感覚なのかもしれません。自分は、大泉氏が「パパパパ・パフィー」に出演した時、オラ我町のアイドルがパフィーとどうカラムか、ワクワクしながら見てました。その後、内地でもどうでしょうの放送が始まり、とうとう曲まで出して、ミュージックステーションにまで出演しました。このとき、大泉ファンはかなり緊張してテレビを見たことでしょう。自分もそうでした。
かつて、テレビを見て自分が緊張した事はありません。
まるで我が子が全国デビュウーするかのようでした。

大泉洋=いじめられキャラの逆ギレ

自分が言いたい事を言ってくれる、そんな大泉洋がいいです。

光を掌握する

2004年05月26日 | Weblog
動画の撮影システムについて書いてあったブログを読んで思ったこと。

数年前まで、ポジ(リーバーサル)フィルムを使う事が多かったのですが、最近、すっかりデジカメオンリーになってしまいました。

昔、私は勉強の為と生活費を稼ぐ為に、「プロラボ」と言うフィルムを現像やプリントする所でアルバイトしてました。
そこは、主にプロの人々が利用する写真屋さんなので、来るフィルムは殆ど仕事用の物ばかりでした。
そこでの私の仕事は、(現像液の調合200リットル)や(デュープ・複写)や(フィルムカット・これがメイン)などをしてました。
「プロラボ」の場合は、「切現」といって長いフィルムの一部を切って試し現像をして、それを見て「増感現像や減感現像」などの注文をします。
そこで、露出の感覚を身に付けないと、希望どおりの指示が出せないんですね。
はじめは3分の1も全然判りませんでした。
その内だんだん判ってきて3分の1の段階露光も自分でするようになりました。

ところが、あるときお客さんからクレームが来たんですね。
段階露光しているのにちゃんと現像されてないって。
そこで原因を調べました。
「プロラボ」の場合、巨大は現像タンクがあって、そこにフィルムを漬けて現像するんですが、その時に「ハンガー」を使うんです。
暗室の中で、長いフィルムをハンガーに重しを付けてぶら下げ、
現像や定着や反転なんかを繰り返すのです。
その時、ハンガーの一番下は先に液に漬いて後に引き上げられるんです。
ここで現像時間に誤差が発生していたんですね。
全カット同露出の場合、6分の1くらいの差もありました。
その時は、営業さんが説明して納得してもらったそうですが、
現在はどうなっているのでしょう?
ポジ自体も使われ無くなってきているので、現像システムを変わっているかもしれませんが・・・

ポジをガンガン使っていた頃は、露出計が無くてもこの光は1/500のf8だ!とか的中していたのですが、今はもうまったくだめですね。
撮影システム

スポ根アニメ?

2004年05月26日 | Weblog
バトルアスリーテス「大運動会」TV。
このアニメ、泣いてしまいました。

大運動会はOVAとTVがあるのですが、テレビ版の特に前半がいい感じですね。自分的に。
主人公「神崎あかり」と、前半のライバル「柳田一乃」の関係に、思わず涙してしまいました。(不覚にも)
どんなに頑張っても思い通りにならない所なんかが、自分とダブって見えたのでしょう。

自分は中学の頃、運動系の部活に入っていて、早朝の朝練や放課後の練習、時には夢の中まで部活してました。
人生の中で、あれ程運動した事は後にも先にもありません。
筋肉痛で階段が上れない事もありました。
でも、辛いけど大好きでした。

その頃がよみがえったんですね、きっと・・・